わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

で,いつ死ぬの?

先日,イオンモール北花田で夕食をとり,実母と,自分と,(実母がだっこしながら)すえの子と一緒に車まで歩いていたときのこと.
エンディングノート,つけたんよ」
  「ん?(あ,あれか,死ぬ前の準備みたいな)」
「市ぃに言うたら,タダでもらえるんで」
  「へぇ.どんなんなん?」
「我が家の財産いうたら,家やんか」
  「ま,せやな」
「家と土地は,兄貴夫婦のもんにしてほしいねん」
  「あいよ.そこは遺言書にきちんと書いといてくれたら」
「で,家の中のモンは,あんたらで話し合って決めや」
  「へいへい」
「せやけどな,あんたの子どもが大学生になって,大阪のな,大学に通うてなったら,母さん今住んでるとこで下宿させてほしいて思ってんねん」
  「だいぶ先のことやが…ま,願望として,分かりやした」
「保険は入ってるから,そのお金で葬式やってや」
  「まあ,急な支出は何とでもなるんで」
家族葬でええからな,簡単なのにしてや」
  「兄貴と話し合うて,決めるよ(いやあ,母さんの人付き合いを考えたら,家族葬っちゅうわけにはいかんやろ)」
「…以上です! 何か聞いておくこと,ある?」
  「えっと…まずはあれかな,借金はないね?」
「ないよ!」
  「あいあい,あったら,相続のときもめるからな」
「相続のことは,くれぐれも,兄弟で,話し合うんやで」
  「あ〜それと,もひとつ」
「…」
  「いつ死ぬん?」
「…あんた,何言うてんのん?」
  「まあ正直なところ,長生きして,すえの子だけやのおて,孫の成長を見守ってほしいんやけどね」
「体が持つ限り,やるで」
  「その言葉を聞けて,ちょっと安心やな」


おどけながらも「いつ死ぬん?」と聞いたのには,意図がありました.母が死をどのくらい意識しながら,生活しているかが,よく分からなかったからです.
癌のステージがいくつといった,身体の状況のことを話し出すか,または(私の)父や(母の)父母・兄姉のことに言及しだしたら,ちょっと要注意かなと思いながら,尋ねたのですが,そういったことは出てこず,(私の)子どものほか,7月に入って忙しくなる仕事のことが聞けましたので,その年齢にしてまだまだ充実,“お迎え”なんてまだまだ先,と知ることができました.
この件は,「和歌山市駅まで,来てくれるか? スズムシを渡したいねん」という母の電話から始まりました.いつ何時ごろ着くからと,日時の調整もしたのですが,当日急に,うちの家族が大阪方面に行くことになりまして,その帰りに堺市某所の実家へ立ち寄ったのでした.
夕食は,イオンモールの4階にて,母を入れて大人5人,幼児4人の合計9人でとりました.そこで急に,すえの子のオムツを替えないといけない,オムツ用具は車の中だ,ということで,3人だけで店を出て,車へ向かったのでした.

(リリース:2013-07-11 朝)