わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

Re: 宿痾

興味深く読みました.宿痾という熟語はなんとも蠱惑的で扇動的に思えたので,本記事のタイトルに使わせてもらいました.
全体の感想を書いておきます.テープの話と,4×10か10×4かの件,そして演繹的な考え方について,何を既知としそこから授業を通じて何を学習する(よう先生方が指導する)かについて,講演会の講師と,学校の先生と,児童ら,聴き手と,ブログ主さんとの間の違いを見てとれました.
個別に見ますと,テープの話は時間の都合で省略しまして,「1つぶんの数×いくつぶん」と「いくつぶん×1つぶんの数」の見解について,論点先取の印象を持ちました.
というのも,個人的には,3×4が「1つ分の数×いくつ分」だったら,4×3は,「4が1つ分の数で3がいくつ分」が先に,そして「4がいくつ分で3が1つ分の数」がその次に,思い浮かぶからです.そして状況に応じて,どちらか(あるいは両方)を言葉なり文章なりにします.
こう書けば,結局のところ言葉づかいの問題だと分かります.「だったら、4×3は「いくつぶん×1つぶんの数」となる」が「だったら、4×3は「いくつぶん×1つぶんの数」とすることもできる」だったら,少なくともその文について,違和感はありませんでした.
最後のページの帰納と演繹については,カッコの補い方のところで,木を見て森を見ずを連想しました.あのくだりを読んで「そうだそうだ変だ変だ」と思う人はさておき,帰納的な考え方と演繹的な考え方の違いは,算数教育の本に当たったほうがいいと思います*1
そうすると,「わかっていること」の間に「(個々の具体的な)」を差し挟むのは,文脈に合わないことが見てとれます.「1位数に何十をかける計算」*2をそこでの《問題解決の方法》に対応づけるなら,「1位数に10をかける計算」「何十の分解(1位数と10とのかけ算で表すこと)」「かけ算の結合法則」が,《わかっていること》に含まれます.それらを,子どもたちが授業中にすんなり思い出せるとは考えにくいので,ここでもまた,先生のリードが必要となるわけです.
帰納と演繹については,数学的帰納法は演繹である(wikipedia:数学的帰納法wikipedia:帰納wikipedia:演繹*3)というのも,忘れないようにしておきたいところです.

*1:手元で参照したのは,『算数教育指導用語辞典』p.30およびp.59と,『算数教育学概論』pp.11-12.

*2:「1位数」「何十をかける計算」といった表記については,http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf#page=47を参照ください.

*3:辞書や辞典による帰納・演繹と,算数教育で用いられるそれらとが違うのではと思った人は,繰り返しになりますが書籍を当たってください.「帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい」(wikipedia:演繹)と同趣旨のことは,前の脚注に書いた2冊のいずれにも書かれています.