わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

自分を支えるものは何か,見直してみた

これまで3回,木曜の夕方に,Cプログラミングの補習をやってきて,思い返してみると,私は受け持ち生徒に,野球のノックをしているみたいに思えてきました.
打球に対する恐怖感こそない(初心者は脱している)けど,「うまく取れるか心配」という不安が多いようで,こちらはそんな感情をよそに「ほないくぞー」と,カンコン打っているわけです.
こちらとしては,球を取って当たり前.と言いたいけれど,少し取りにくいも出します.ここで根性(プログラミングの場合,自分なりにとことんまで考えてみること)を見ますが,根性だけでダメっぽいなら,技法(野球だと,グローブの出し方.プログラミングでは言わずもがな)を言って,試してもらいます.

  • 初学者は,なんかうまくいかないとか,こんなやりかたで完成できるのだろうかと,苦悩して時間を費やします(時間の浪費ということもあれば,意味のある悩みのこともあります).指導者は後ろから見て,的確にアドバイスします.

ということで,もし皆さんのこれまでの学習,いや「学習観」が,正解を求めることを目指し,他人との比較や競争が常であり,教師はイコール審判であると思ってきた人は,それは一つの学習観,「タイプA学習」なんだと理解して,大学では「タイプB学習」というもう一つの学習に対する考え方,すなわち1個の正解ではなくむしろ妥当解を目指し,自分の中で知識・技能と成果を省み続け,教師を知識の供給源として活用するような活動スタイルがあるんだと思ってくれると,今ここでしゃべっている甲斐があったというものです.

大学院に入った私は,「統計学輪講」という科目を履修した.(略) ここで私は,工学部のカルチャーと経済学部のカルチャーの違いをたっぷり教えて頂いたのである.
この授業では各学生が順番に,統計学の専門誌に掲載された論文について解説を行い,それについて教授たちが質問する形式で進められるのだが,経済学者は自分がよく読み込んだ論文を学生に発表させ,理解不十分と思われる部分があると質問を浴びせてくる.うまく答えられて当たり前,答えられないときには厳しい叱責が待っている.その間発表者は,顔面蒼白になって叱責に耐えるのである.
一方,工学部の教授はどうかと言えば,まだ自分が読んでいない面白そうな論文を学生に与え,うまく発表すると,「そうか,わかった.これで一つ賢くなった.ありがとう」とお礼を言ってくれる.質問にうまく答えられないときは,別の工学部教授が,「これはこういうことでしょう」と助け船を出してくれる.
最初の数回で,私は経済学者の厳しさにはとてもついていけないと感じた.彼らは他人に厳しい.そしてこのバトルを生き抜いた強者が教授となり,再び学生を厳しくしごくのである.

私はやはり,この「工学部の教授」に共感を抱きます.こういう教授になりたいものです.優しいとか厳しいとかではなく,「面白そうな論文を,読みこなす力量を持つ学生に与えること」「学生の発表を聴きながら,自分もその考えを追い,同意・納得すること」「学生が戸惑ったら,学生当人とゼミの場をより良い方向に進めるための方向性を,即興で決め,示すこと」に,大学教育の中で喜びを感じているからです.

さて,プログラミングは,どうでしょう?
…こちらは,正解・不正解よりも,成功・不成功で考えるのが,いいのではないでしょうか.
試験にちょっとだけ戻しますが,とくに選択式の問題は,一つだけが正解,残りは不正解で,それを見抜くことが要求されます.一方,プログラミングでは,これを選んでも成功,あれを選んでも成功,なのです.まあ,こちらを選べばどう頑張っても失敗,というのもあったりするのですが.
たくさんある「成功の道筋」の中で…といってもその道筋がまだプログラムコードとして形になっていない状態で…どれを選んでコードにするかが,問われているのです.

「みなさんの基礎体力を確認したいと思います.10分後に,ここで,100mを全力疾走してもらいます.時間としては,20秒以内というを目安を設けることにします.ただし,20秒で走れたらいいというのではなく,ゴールに向かって全力疾走できるかどうかを見たいと考えています.10分間でウォーミングアップしてください.時計を使って,走ってみて計るのもいいでしょう.心臓発作には注意してください.注意のしようもないのですが(笑)」

これまでの採点作業では,設問ごとに「正解語句の集合」と「不正解語句の集合」を考えます.答案を読みながら,興味深い別解を見つけたら,正解語句の集合に書き足し,間違いだけど印象に残るものを見つけたら,不正解語句の集合に要素として加えます.
…というのは数学的・理念的なもので,実際には集合形式ではなく,「設問番号:解答:点数」で一つの解答の情報を表すことにして,リストを作ります.点数が(その設問の)配点と同じときに限り,正解すなわち別解を意味します.点数が0点ではないけれど配点に届かない場合は,部分点ですね.この部分点をきちんと決めていかないと,同じ解答なのにある学生には3点,別の学生には2点ということが起こってしまいます.
すべての素点付けが終わったら,解答・解説の文書に,別解や誤答例と,誤答についてはどこがまずいのかを追加します.

それはそれとして研究を進め,本などを読んでいくうちに,学生にも伝えることのできる,工学の本質と言っていいものを見つけることができました.
「一つの問題に対して,複数の解決法があるとき,どれを選んで,形にするか?」

ここで利用する側から提供する側,それも研究としてコンテンツをお借りして検索サービスを試作し,卒論・修論や学会発表に持っていこうとする側に,視点を切り替えましょう.ある検索語で「1件だけ見つかった」とき,それを本当に予稿なり論文なりに載せていいのかというのは,数十件以上見つかったというのと比べて,入念なチェックが必要となります.
検索において,フォールス・ポジティブ,すなわち検索語が現れていない文書を「ヒットした」としてしまったり,フォールス・ネガティブ,すなわちgrepなんかできちんと調べれば出現しているのが分かるのに,その検索サービスではヒットしないなんてことが起こるのは,確かによろしくありません.しかしそれは,使用する全文検索エンジンに依存する話です.なんらかのアイデアで画期的な全文検索エンジンを作ろうという研究ではなく,定評のあるエンジンを使って使い勝手のいいサービスを提供とする試みであれば,文書群や利用者の性質・性格も念頭に置き,定性的・定量的な成果を示したいものです.

「一旦離れる」は重要で,私だったら「学期中のプログラミング授業と同じ時間数を,プログラミングや計算機科学の本を読んで過ごすのはどうかな」と言うと思います.いわば足腰を鍛える活動です.その経験・知識が即,骨格や筋肉にはならないけれども,あとになって,「あれはこのことなんだ」と気づく回数が増えてきます.研究室で良書を推薦してもらって借りるのもいいし,あるいは大学図書館の本から探すというのも,たいてい内容が古いけれども,本から学ぶにはいい機会だと思います.

そこで私自身の読んできたこと,書いてきたことと…本日の,プレイヤーにとって快適とは言えない環境での綱引きが合わさって,認識できたのは次のことです.地に足をつけて,生きていかないといけません.足もとをすくわれても,そのたびに立て直します.勝ち負けは,二の次,三の次です.
書いてみれば誰もがやっている,当たり前のことです.ふつう「生きる」と言えば「一歩一歩」だとか「前進」を連想するのですが,引っ張ってこそ勝ち(前に出たら負け)を意味する,綱引きがきっかけになったのも,変な話です.

孫の初めての運動会ということで,実母にも来てもらいました.後片付けがほぼ終わったところで,園長先生がグラウンドからこちらへ向かってくるのを見て,母は「挨拶しとくゎ」と言って近づき,二言三言,交わしました.あとで母は,私ではなく妻に対し,「丁寧に挨拶してくれたでぇ.それにしてもよお動く先生やなぁ」と言っていました.
母には,いつまでたっても頭が上がりません.さしあたり,幼稚園であれ小学校・中学校であれ,我が子の担任の先生と会話をする機会ができたときには,「お忙しいでしょ.こちらでできることがあったら,おっしゃってくださいね」と言えるようになりたいと,思うようになりました.

 「にいかけにいは?」
  「4.にいかけるにいは,4.にいかけるにいかけるにいは,8.にいかけるにいかけるにいかけるにいは,16」

 「ぱぱ,もいっかい」
  「言うと思った.ほなそうやなあ,10分の1っちゅうのをやっちゃろ.こ〜んなんでやなあ(腕をゆっくり1周する)」
 「…」
  「(激しく腕を動かしながら)こーしてこーしてこーしてこーしてこーしてこーしてこーしてこーしてこーしたら,10個に切れるんや!!」