「パパ,あのね,ドミノってしってる?」
「んん? あとの子か」
「ドミノやで!」
「ドミノなあ…ドミノ倒しなら知ってるが(そもそもドミノは倒すためのものじゃないんだよな.まあそこは言わないでおこう)」
「いまね,くみたいそうで,ドミノやってんねん」
「ほお,また新しい技(の練習)か?」
「みててね…こうやってね,こうやってね,それで,こう!!」
「ううむ,分かったような分からんような」
「ねんちょうさん,みんなで,やるんやで!」
「へえ,人間・ドミノ倒しってとこか」
「なにそれ?」
「ああいやこっちのこと.それを,年長のクラスみんなで,やるんか?」
「そうやで!」
「全員技っちゅうことは…ドミノがトリになるんかな?」
「なるかいな!」
「ちゃうんか.まあ,運動会はまだまだ先やもんな,当日見せてや」
「うん!」
1分後に気づきました.こちらは「トリになる」=「トリを務める」=「最後の技」という意図で尋ねたのに対し,あとの子には「鳥になる」と伝わってしまったことに.