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CH研究者としての年表を作ってみる


 昨日のある意味,続きです.「CH = 人文科学とコンピュータ」に関しての成果発表とともに,研究者・大学教員としていくつか重要な出来事を,1枚のスライドにして,研究会でしゃべりました.


「ここまで4つのシステムを紹介してきました.これらを『年表』に載せてみます.

 4件の成果発表は,古いものから順に2003年・2008年・2011年・2016年でした.つまり,こうです.

 はじめ3つは,査読付きの論文として掲載されたので,『掲載』と書いています.4番目のは,これも査読付きではありましたが会議発表で,実際私が口頭発表したということもあり,『発表』としておきました.
 次に…CH研究会と,例年12月に開催される査読付き会議の『じんもんこん』で,自分が著者・共著者になったのを,表示してみます.

 2006年1月は,学生と私が別々に発表したので,丸2つにしています.じんもんこんは,仏典テキスト処理その他で5年連続,発表する機会を得ていましたが,3年ほど空いてから,一昨年に学生に発表してもらいました.昨年は聴講だけです.
 ところで年表が『1999』から始まっているのは,私の着任がこの年だからです.

 教員の経歴としては,1998年4月がスタートで,修士・博士と在籍していた奈良先端大で,1年間だけ助手を勤めました.
 研究者・大学教員としての雑多な情報を,年表に書き足しましょう…こうです.

 左から見ていきます.①の発表などもあり,2003年の10月に,講師に上がり,さっそくプログラミング科目を新たに担当しました.同じ月に結婚し,戸籍姓が変わりました.学生向けには2004年より切り替え,特許出願時の氏名も同じようにし,学会・論文発表時の著者を,今と同じにしたのは,2007年になってからです.
 その間にひとつ,出来事がありました.学科内で,講師以上の教員は研究室を運営し,学生を指導する,という運用になりました.2006年の10月に,学部3年生を受け入れるときから,自分の名前の研究室を使い始めました.
 ただし,研究体制の分離というわけではなく,例えば,N教授の学生をこちらで実質的に見たり,逆に,研究室としては自分のところですが,N教授のところの助教の先生に,研究のアイデアがあって,それを進めてもらう学生として,この学生が最適ということで,指導をお願いしたというケースもあります.
 着任より前から,研究その他でお世話になったN教授は2012年で定年退職され,以後は小さな研究室として,活動を維持しています.
 最後に,教員としてコンスタントに研究することを支えたのは,一つは学会発表と,それに伴うフィードバックですが,もう一つ,研究費を得ることができたことを,言っておかないといけません.その中でも,やはり科研費です.CHの研究に限ることなく,期間中に代表者または分担者としていただいた科研費を,年表に入れると,次のようになります.

 CH関連で,スライドに書いておくべきだったのを,ひとつ,思い出しました.人文情報学月報の巻頭言を載せていただいたのは,ちょうど1年前,2016年の2月です」

4件の論文掲載・発表について

① 平安・鎌倉時代を対象とした僧侶データベースシステム, 情報知識学会誌 (2003). http://ci.nii.ac.jp/naid/110003320765
② 聖教書誌情報全文検索システムの構築, 情報処理学会論文誌データベース (2008). http://ci.nii.ac.jp/naid/110007990021
③ バージョン管理を用いた漢訳仏典翻刻支援システム, 情報処理学会論文誌データベース (2011). http://ci.nii.ac.jp/naid/40019597974
訓点資料を対象とした翻刻支援システムの構築および評価, 第15回情報科学技術フォーラム (2016). http://www.ipsj.or.jp/event/fit/fit2016/FIT2016program_web/data/html/outline/aboutreview.html