日曜日は,自宅にて,法要を行いました.
妻の母の母の,二十五回忌です.亡くなったのは西暦ちょうど2000年です.自分が結婚してこの家に来たのは2003年で,面識はありません.仏の間には,カラー写真が飾られています.
参加者は…我が家全員,と言いたいのですが,子どもたちは外に出てもらいました.まず,すえの子は塾のテストと重なりまして,和歌山駅まで往復の交通費を渡しました.うえの子・さきの子・あとの子は,図書館で勉強してもらうこととし,妻が車で送りました.
我が家以外の参加者があります.妻の母の妹とその夫です.本記事では「おばさん」「おじさん」と表記します.
(妻の;以下略)父と母はもちろん参加です.妻と自分と,合計6人で,お寺の方を迎えました.3人は座椅子に座り,自分は座布団の上で正座しましたが,途中から足が痛く,あぐらにしました(最後の最後は正座に戻しました).
お寺の方を見送ってから,普段着に戻って,妻はさっそく仕事先に向かいました.土日とも,大事な業務があったらしいのですが,日曜の午前中だけ,免除してもらっていたのでした.
法要のあとは会食です.妻が,市内のお城のそばの食べるところを予約していました.自分が運転し,父と母とおじさんとおばさんを乗せて,お店まで行きました.店の前の駐車場は満車だったため,指定のコインパーキングに停めました.
昼食はコースでした.父とおじさんはノンアルコールの瓶ビールを頼みましたが,自分は飲みたい雰囲気ではなかったので,温かいお茶にしました.会食中,おばあさんの思い出話を聞けました.おばあさんは旅行好きだったと誰かが言ったあと,去年,妻と父と母が1泊旅行をしたという話になりました.たけちゃん(=私)何してたのと,聞かれたので,7月だったのを確認してから,ギリシャの国際会議に向けて出発した日だったことを伝えました.大人がいない日があることを,実家の母に電話し,その日に実家の母が我が家にやって来たことを合わせて言うと,自分に一番近いところに座っていた母は,そうやったのという反応でした.おばさんは,私もそんなんやったら絶対孫のところに行くわと言っていました.
店を出てからも,ハンドルは自分が握りましたが,まっすぐ帰るのではなく,父の指示で,市内中心部を走りました.お城の南側・西側・北側を進み,北上して旧丸正・現在はフォルテワジマのそばを通り抜け,和歌山市駅に接近して,高島屋の看板はなく市民図書館になっているのを見ました.そこからは和歌山駅に向かい,直前の吉田交差点で左折して,跨線橋を渡ってからもまっすぐ走り抜け,阪和道和歌山インター南口の交差点までたどり着き,あとはゆっくりしたペースで,自宅に戻りました.
おばさんは(母の妹なので)結婚して離れるまでは我が家に住んでいたわけですし,おじさんは転勤族で,2年ほど,和歌山市内で住んでいたこともあったのでした.
ともあれ,一つ上の世代の4人の話す,昔の和歌山の状況をいろいろ,聞くことができました.