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「分数ができない大学生」を起点にいろいろ

発端は,「教育」という言葉を「社会」という言葉に置き換える - 今日行く審議会@はてな,そして昨日の毎日の社説です.

90年代に大学設置基準が緩和され、入試の負担軽減化も進んだ。一方で、「分数ができない大学生」など学生たちの基礎学力不足を指摘する声が国公私立を問わず目立つようになり、今では専門教育の前段に必要な高校レベルの「補習」をする大学が多くある。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071126ddm005070060000c.html

「分数ができない大学生」は本の名前で,ここでは象徴的に使用していますね.立ち読みした記憶があります.google:分数ができない大学生の上位から,気になったものを挙げてみます.

データに基づいた議論は非常に重要であるが、そのデータには正当性が必要である。この本のデータ(算数の問題)はやはり粗末としかいえない内容。(各問正答率については「理科・数学教育の危機と再生」という本の中で書かれているのだが、やはり2割も算数ができない訳ではない。)大きな話題になった本ではあったが、この本が学力低下を指摘した本であるという認識を持っている状況には不安を感じてやまない。
(amazon:分数ができない大学生,mokohei "mkh"氏のレビュー)

さて,どんな問題だったか…

問題は,{1+(0.3−1.52)}÷(−0.1)^2 (注.^2は2乗) です。
数学の基礎学力の低下が,文系大学生だけでなく理工系大学生にも及んでいることが明らかになったわけで,教育関係者に大きな衝撃を与えています。
(分数,小数ができない大学生が増えている)

3×{5+(4−1)×2}−5×(6−4÷2)
・私大トップ経済学部 …89.8%(正答率)
・  〃  人文系学部…81.1%(正答率)
(同上)

なんだこの出題は.これらの問題,そしてそこから正答率を見ることが,数学の基礎学力を測れるとは思えません.

分数ができない大学生とは,例えば,
 0.5−1.2×2/3−1/5(1.5−0.2)^2
 5(3/4−1/4)−2÷1/4
 というような計算ができない大学生がいるというのが問題になりました。しかしこんな煩雑な計算が解けることにどんな意味があるのでしょうか? ある人は、こうした問題がとけなくても日常生活には何ら支障はないのではないか、という人もいます。しかし,小数や分数の計算ができない人は,買い物などでの消費税の計算や何かを分配するときに代表されるように,日常生活に何らかの支障をきたすでしょう。

http://www.kyo-sin.net/bunsu.htm

『どんな意味があるのでしょうか?』から,問題提起をしているのかと思いながら読んでいきましたが,結論が『しかしながら、現状のカリキュラムでは、入試で論理的な力を問うには、数学という教科で代用するしかないのです。』とあるなど,趣旨はどうも違うようです.

大学生が分数の計算ができない。
すると「分数の計算ができないのは小学校の教育に欠陥があるからだ」という意見が出てきそうである。しかしこの論点は『分数ができない大学生』の著者たちがまず否定している。
大学生が分数をできないのは、小学生の時にできなかったからではない。小学校で学習した分数計算を大学へ入学するまで使う機会がなく、また入試でも問われなかった。そのために起こったカリキュラムの不整合である。

http://www.jugyo.jp/bun/tokushuu/toku179.html

ああ,この主張は分かりやすいです*1

記憶は使わなくなれば簡単に忘れます。
特に受験みたいに詰め込みではなお更です。
分数は日常使いませんからね。
微分積分も同じですね。
「出来ない」のではなく、「忘れた」が正しいと思います。
受験による重圧から解放されれば頭の中がガスが抜けたように今までの記憶が飛びます。
(分数の計算のできない大学生 -が、以前 話題になったような気がします- 教育・文化 | 教えて!goo, ANo.10)

これも分かりやすいし,自分の授業や学生指導で使えそうです.
「分数ができない大学生」を起点にして,いろいろ読んで,やっと問題意識が形成できました.「単に問題を解かせ,正答率を見ることで,できる・できないとか,基礎学力を知ることが,果たしてできるのか?」です*2
学力と全く関係ないのですが,ボナンザと公の場で対戦して勝利した渡辺明竜王が,勝負を振り返って書く以下の論考は,ロジックとして参考になりそうです.

私は勝ちはしましたが,圧勝といえるものではありませんでした.今回の戦いを見て「人間が負ける日も遠くないな」と思われた方も多いと思います.
しかし,ここで重要なのは,まず「負ける」の定義を確認しておくことです.
実は,「人間が一局負ける」だったら既にそのレベルに到達しています.「ボナンザ≒奨励会二〜三段」が,トッププロに勝ち越すことはまず不可能ですが,一局勝つことは普通にあります.よって一発勝負を続けたら,いつかは人間が負けるでしょう.
ただし,「コンピューターが勝ち越す」ならば話は別です.現在の奨励会二〜三段からトッププロのレベルに到達できるかどうか.今後も強くなることは間違いないと書きましたが,トッププロの域まで来るかどうかはわかりません.どこかに限界があるという可能性は十分にあります.これは人によって意見がわかれるところでしょう.
私は,トッププロがコンピューターに負け越す日が来るとは思っていません.
(頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書), p.95)

基礎学力を測るには,どのような方法が適切なのか…本気で文献調査をできるだけの専門家でもないし,専門家が近くにいるわけでもないし.まずは,「分数ができない大学生」を取り寄せて読み,そこではどのように規定し測定していのかを,確認することにします.

*1:この主張が正しいことを論証・確認するには,小中高のカリキュラムを見直す必要があるのですが.

*2:関連:「分かっていない」というぼやき.そういえばこれ,答えを投げ出したままだ….