わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

大学のうちに学んでほしいのは,トリアージか?

昨日,学会発表を無事というわけではないですが終えました.そのあたりのことは,家に帰ってからにします.
大学教育リングで,エントリーを出すたびにブックマークがたくさんつく,id:fuku33さんのところで,はてなの反響がこれまでになくすごい状態になっています.
私は50ほどはてブがついていたあたりでブックマークし,

大学のうちに学んでほしい概念として,「トリアージ」も入れたいと思うようになった.

はてなブックマーク - takehikomのブックマーク / 2008年5月23日

と書きましたが,今や300に届く勢いです.
リンクされているものをいくつか読んで,

「資源の限界がある上での最適配分」にトリアージの話持ってきたってのは不適切だと思うんですね。要するに「資源が少ないから医療資源の配分に優先順位つける」という概念を説明する以前の学生にトリアージの概念で話持って行っても、多分伝わらないんじゃないのかと。

http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080523/1211556804

が批判として最も重要なものに思えてきました.id:fuku33さんの記事に対して,というよりはむしろ*1,私の書いたブクマコメントに対して.
これについては,トリアージを持ち出した背景として

Commented by 三宅 at 2008-05-24 02:18
自分はトリアージについてただ悪とも、全く正当とも、言えないと考えます。むしろ、学科の卒業生が医療福祉系機関に就職することが多い学科で、学生さんたちが将来「悪とも正当とも割り切れない行為についての判断」をすぐ近くで迫られる可能性もあるいはあると思いまして、それが割り切れないからこそ、「そういう『苦い』意志決定の可能性もある」ことを知っておいた方が良いのではないかと思いました。「善とも割り切れないけれども実行しなければならない」ことをいかに行うか、それについて考えてみることは、経営について論じる必須のプロセスでもあると考えますので。

救ったこととか見殺しにしたこととかあるのかな : こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

と三宅=id:fuku33さんが書かれていて,これに付加する形で,「医療・福祉の職につくわけでない人であっても,“将来「悪とも正当とも割り切れない行為についての判断」をすぐ近くで”なされている可能性に思いをいたし,災害現場で,どうして身内を助けてくれないのかと悲鳴を上げる人がいたときに,医師らに代わって,そしてその方の心の中の苛立ち,苦しみに共感しながら,見えるところ見えないところでどのようなことが起こっているかを代弁できる」ようになってほしいと考えます.
それで,トリアージは,「大学のうちに学んでほしい概念」なのかですが…
それまで頭の中に入れていた,「大学のうちに学んでほしい概念」は,「資料批判」と「不確実性」です.後者は「確率・統計」と置き換えるほうがいいかもしれません.
トリアージは,これらと同じレベルの概念になっていないので,よくありませんね.
語句の案としては,「最適配分」でしょうか.この言葉だけで,「なぜ最適な配分というのを考えないといけないのか…資源は有限だから」と連想できますし.
ただ,これについては,前二者ほどの経験の蓄積はありません.とはいえ,「(エンジニアリング)デザイン」と密接な関係がありますし,これと結びつけながら理解し,身近な学生に教えていくということは,可能なように思えます.
学生が一つのことを理解し,困り,迷い,自分なりに解あるいは解釈を見つけて一歩前進していく裏で,私も,情報を収集して集約して,矛盾を解決していきながら,授業やゼミで,明るい未来を提示していきたいという思いを強めることになった一件でした.

*1:直後の段落は,トリアージを持ち出すことのまずさの根拠というよりは,トリアージを説明するときの留意点を挙げていると解釈しました.