わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

一人前

まもなく成人の日.
新成人に向けて,アドバイスを.

「一人前」とは

  • 何をすべきか
  • 何をしてもよいか
  • 何をしないほうがよいか
  • 何をしてはならないか

上の4項目を知っていて,それに基づき行動する人のことを「一人前」と言います.
実際には,この4項目の内容は,所属する共同体に依存します.ある共同体では一人前と認められている人が,他の共同体の中で同じように行動していると,そこでは一人前扱いされない場合もあるでしょう.
この4項目の内容は,たいていの共同体において,明文化されていません.「知っていて」と書きましたが,その知識をそのまますらすら言ったり書き出したりできる人は,いません.しかしその共同体で一人前とみなされる人々は,言語なしで正しく行動します.
また,一人前を目指す人が,ふさわしくない行動をしているか,すべき行動をしていないときには,叱ったりたしなめたり,ときには手取り足取り伝承したり,ときには無視したりします*1

「一人前」を考えるようになったきっかけ

しかし掲載を拒否されて,著者に原稿が差し戻されるのは,こうした,言わば「二番煎じ」である場合だけではない.その前に,その専門家の共同体の共有する知識体と,その前提としてある研究のためのセッティングとを踏まえていない,言い換えれば,専門家の共同体の敷いた路線から,さまざまな意味で外れているような内容を持った論文原稿は,それだけで拒否の対象となる.
いわゆる素人,非専門家が,たまたまある領域に関して,新しい発見をしたと信じたとしよう.その人が,その「新発見」を論文に仕立てて投稿したとしても,その領域の専門家の共同体のレフェリーは,仮令その「新発見」が,確かに彼らの共有財産である知識体に「新しい何か」を付け加えるものであったとしてさえ,恐らくは,最初から,その論文を拒否する公算が高い.その理由は,論文の「書き方」という,ある意味では形式的な問題にある.専門家は,そういう論文を書くときに,何は書かなくてはならないか,何は書いてもよいか,何は書かない方がよいか,何は書いてはならないか,を知っている.というよりは,それを知っている人のことを,現在では「専門家」と呼ぶのである.そのノウハウは,上に広く「セッティング」という大まかな言葉で編掛けをした多くの事柄と関わるものである.非専門家の書いた「論文」が,専門家の目に,一目でどこか馴染まない者として映るのは,まさしくその点である.そして,その「馴染まない」という感覚は,その投稿論文を拒否する立派な理由になる.ほとんど例外なく,そうした原稿は,いわゆる「門前払い」という処置を受けるだろう.
このような事態は,いわゆる「素人」と専門家の間でのみ起こるわけではない.研究者として,すでに多くの「業績」を挙げているある領域の専門家が,別の領域で論文を書こうとしたときにも,まま起こることなのである.一つの領域での専門家であることが,そのまま,それとは違った領域で共有されている知識体とそれを支える諸々のセッティングについて,十分な知識と経験があることを保証しないからである.他の領域で名のある研究者を無下に「門前払い」にすることに躊躇があることもあろう.その場合には,一つの決まり文句が用意されている.「貴論文はこのジャーナルの編集方針からややずれております.別のジャーナルに投稿されることをお薦めいたします」という具合である.実際にある分野で著名な研究者の論文(正確には未だ「論文」になっていないのだが)が,このような形でたらい回しにされた揚げ句,結局最初のジャーナルに戻ってきたという実話もある.
(科学者とは何か (新潮選書), pp.69-71.太字は引用者)

過去にも取り上げた本です.そのときと同じく,文章自体は研究者の心得で,もう少し具体的に言えば(査読付き)論文執筆の心得なのですが,本日のエントリ冒頭に書いたように変形してみました.
別の応用のしかたとして,「相性」も考えられます.人間同士というよりは,人と機械,典型的には人と車の相性です.車を「操作」するための知識は教習所で教わるにしても,免許をとってから,自家用車にせよレンタカーにせよ,それを使いこなす…「操縦」するためのノウハウは,ある程度は本やWebを読めば分かるかもしれませんが,残りはハンドルを握ってペダルを踏まない限り,分からないものです.
自家用車で当然すべき操作を,他の車でも同じようにすると,うまくいかないということも,しょっちゅうです.(個人的にはしょっちゅうでした.)
そうして好奇心と誠実さをもって行動し,経験を積み,適度に痛い目にも遭って,あるときに*2,誰もが経験したことがないものにも,逃げることなく取り組めるよう,新成人の人々に期待したいと思います.

関連

「大人」と「子ども」の違いは、子どもは「やりかたのわかっていること」しかできないけれど、大人の条件は「どうふるまったらよいのかわからないときにも適切にふるまうことができる」ということにあります。言い換えると、「こういう場合には何をすればいいのかを示すマニュアルやガイドラインがないときにも、最適選択ができる」ということです。

http://bookweb.kinokuniya.jp/bookfair/prpjn46.html

(2)(ア)成人と同じ資格・能力があること。「若いうちから―に働く」
(イ)所属する社会で、正規の構成員であると認められること。
(3)技芸などがその道の人間として通用するほどになっていること。「―のコックになる」

いちにん-まえ【一人前】 - goo辞書

*1:その共同体で一人前を目指していない人が,ふさわしくない行動をしているか,すべき行動をしていないときには,適当に応対するか,無視するか,拒絶します.

*2:いや,毎日かもしれませんね.