わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

図解のすすめ,全国学力テストへの批判

図解のすすめ

頭がよくなる「図解思考」の技術

頭がよくなる「図解思考」の技術

人の話を聞きながら「絵」としてメモをとることを「図解メモ」と定義しており,そのメリットとして以下の6点を挙げています.

  1. 言葉を省略できるからスピーディーに記録できる
  2. 話が複雑でも関係性を理解しやすい
  3. ヌケ,モレ,矛盾を発見しやすい
  4. 記憶に定着しやすい
  5. 後からアイデアを展開しやすい
  6. 報告書やプレゼン資料にそのまま転用できる

(p.21)

このうち「ヌケ」については,営業マンが説明する会社概要を図式通訳し,そこから「競合情報」がないことに気づいて,質問する例(pp.152-155)というのが非常に分かりやすいと感じました.
図解と言っても,気ままにするわけにはいきません.頭の中で,情報を構造化することが不可欠です*1.そして図の表現方法です.図解メモのとり方だけでなく,描くためのフレームワークの例が充実しています.加えて,この図解に対する親しみを感じさせてくれるのが,手書きの図文字です.83個の図文字(pp.80-83)は,自分のメモでも使えそうなものから,覚えていきたいものです.
とはいうものの,読み通してみて,次の点が引っかかりました.それは,「図を描くプロセス」が,必ずしも読者と共有できていないことです.
掲載されている図は,「完成図」と,その部分ごとの解説ばかりで,「ノートのどこを使って描き始めればいいのか?」「少し描いてみたものの,図の要素を伸ばすのが特定の方向に偏ってしまって,いいのか(バランスのとれた,読みやすい図に,最終的になってくれるのか)?」という疑問を抱かずにはいられません.実践の章を読んでも,この疑問は解決できませんでした.
まあ,そこらは,聞く経験・図にする経験で,カバーすべきなのでしょうね.まっさらの状態から埋めていくという点で,将棋指しよりも,囲碁打ちの人のほうが,この図解表現になじみやすそうです.

国学力テストへの批判

1週間ほど,自宅の自室のところに「横積み」の一つとして置いていたら,妻が先に読み終えました.感想は,「まあこの人の考え方やね」と.
何を書いているのかというと,書名のとおりなのですが,これまでの自分の中でもやもやしていた,文部科学省と学校現場との関係が,次のとおり明快に分析されていました.

このPDCAサイクルは,数値目標に基づいた成果主義として,二〇〇二〜〇三年ごろから教育実践における学校の「説明責任論」(アカウンタビリティ)と一体となって,今や教育界を席巻している概念です.
文部科学省はこの考え方を活用しながら,全国学力テストの実施によって,Pの「企画・立案」とCの「検証・評価」を行う権限を握り,Aの「実行・改善」*2,つまり教育改革の舵を握ろうというわけです.学力テストを武器にした,国家によるみごとな把握方法と言えます.
(p.24)

国が地方を信頼せず,国が目標を設定し,それを各学校があたかも「主体的」であるかのように思いこまされて実行させられる.しかもそれが外部の第三者機関による評価に付され,改善を迫られるシステムとは,何という中央集権的,管理主義的な発想であり構造でしょうか.
(p.25)

アンケートとその分析については,残念ながら拙速の感がありました.

まず,「現在のような『全員参加』の全国一斉学力テストは,いっそのこと『中止』するべきだとの声もありますが,あなたはどうお考えですか」とたずねたところ(以下略)
(p.32)

中止ありきの質問です.そして,抽出調査も「中止」に加えようとする魂胆が見えます.直前のページの『公平を期すために全員参加体制に近い研修会,講演会場にて』がむなしく響きます.

では,実際に全国学力テストを受ける子どもたちの取り組み具合とその成果はどうでしょうか.同じ時期に中学生にもアンケートを試みました.
(略)
まず,全国学力テストが役立ったかどうかについてたずねたところ,「わからない」が30.0%と最も多く,「まあまあ役立った」が29.9%でほぼ並びました.一方,「あまり役立たなかった」(19.9%),「まったく役立たなかった」(9.3%)など,約3割は否定的です.特に,「とても役立った」という肯定派は5.1%にすぎず,子供たちの有用感は低いと言わざるをえません
(pp.38-39,パーセント表記は漢数字等からASCII文字表記に改めた)

分析内容について,肯定派と否定派に分けるのなら,「とても役立った + まあまあ役立った」と「あまり役立たなかった + まったく役立たなかった」とを比較すべきでしょう.ちなみにそうすると,肯定派が35.0%,否定派が29.2%となり,肯定派優勢と解釈できます.
ところで,この実施方法と分析方法が,“自分のこと”に,より正確には,自分の存在理由を脅かすことに,向けられると,どうでしょうか.上の例では,全国学力テストという,著者が中止を求めることに対して,中止を引き出すためのアンケートでした.同様に,科学技術に対して,あるいは極端な話,著者のとった『臨床教育学』(p.31)という学問に対して,世の中の人々の有用感アンケートをとったら,どうでしょうか? 「あまり役立たなかった + まったく役立たなかった」という値が高いとき,科学技術や学問を,ストップすべきでしょうか?
過去3年間実施してきた全国学力テストの方式について,私はとても賛意を示せませんが,中止を引き出す根拠とするための,当事者アンケートについては,何を対象にするにしても,安易に行うべきではないと考えます.パーセンテージよりも理由を明らかにしたい,と考えても,数字が一人歩きするのです.
副題の「学力」について,第二章で論じられていますが,PISA礼賛の印象を受けます.著者のPISA調査の位置付けはp.72にありますが,ここでは引用しません.PISA礼賛というのは,イギリス(イングランド)について『PISA調査における成績はあまり芳しくないことも付記しておきたいと思います』(p.100)とあるのを,一つの根拠に挙げたいと思います.個人的には,PISAも,その組織が測りたい,また浸透させたいと考えている知識や能力を,企画立案し,実施しているところの一つなんだと理解しています.
当日記で今月書いたあるエントリに,特に何も考えず「学力」と書いてしまって,後日「能力」に変更しました.そこでの能力は,ability/disabilityを念頭に置いたのですが,「能力」で自然に連想する英単語は,skillです.これらの意識と,尾木氏の本を読んで,以下の問題意識を持ちました.

  • 一人に対して指導することと,クラスで教えること,学校や日本の教育制度のもとで教育することについて,どのように関係づけるか?
  • 1回の試験(能力測定)が,解答者の能力を正しく(どれくらいの誤差で)測れるものか? 誤差を最小にする,効果的な手法は何か?
  • 同一または同様の出題を通じて,同一の解答者(解答者群)の知識定着・能力向上を確認できるのか? 効果的な手法があるのか?

もちろん,すぐに答えの出るものではありません.学生と対話し,教育書を読み,また考えていくことにします.

*1:同書p.5.

*2:引用者注:書かれていないDについては,この引用の一つ前の段落に『Do(実施)』とあります.