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コミュニティ術

In Japan a Culture That Promotes Nuclear DependencyThe New York Times
約40年前、島根原発誘致が初めて提案された時、この過疎の漁村は激しい反対運動を行った。このため発電所を操業する予定の中国電力は、もう少しでプロジェクトを断念するところだった。怒った漁民達は数世代に渡って魚と海藻を育んできた地域を守ることを強く誓った。
二十年後、中国電力が三号機建設による原発の拡張を検討している時、鹿島町は再び運動を起こした。しかし、今回は建設を推進するためだった。漁業組合の音頭取りで町議会は15−2の得票で約3,200億円の新規原子炉の建設を推進することを可決した。鹿島町の反転は日本では共通の話である。そして、これが、なぜ日本ではあい変わらず原発を推進するのか、なぜ国内54基の原発周辺の自治体で原発反対の住民運動が起こらないかの理由を説明している。

http://tkpilgrim.wordpress.com/2011/05/31/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87%E3%82%92%E6%8E%A8%E9%80%B2%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96/

1号機の運転開始は1976年3月。その翌年には早くも2号機の建設が始まったのだが、2号機建設の時には用地買収の必要はなかった。中部電力は1号機建設時に充分な土地を手に入れていたので、漁民との交渉だけで良かった。それに対して、住民から不満の声が上がった。原子炉を増やすたびに漁民には補償金が出るのに、今回は住民たちは一銭ももらえない。それでは不公平だという声が沸騰したのだ。
危険な原発を容認する代償として見返りを求める気持ち、つまりたかり体質が地元住民の中に生まれ始めていた。さっそく地元の人々は、中電との交渉窓口として、「原子力発電所佐倉地区対策協議会(通称・佐対協)」を立ち上げた。そして、3号機建設が立案された時には派手な反対運動まで行なった。この反対運動は、本当の意味での新号機建設反対ではなかった。中部電力から金を引き出すための条件闘争だったのだ。
(略)
彼らの行動が巧妙だったのは、外部からの応援部隊を入れないことだった。「外人部隊は入れるな!」というスローガンの元に、応援部隊が反対運動に加わろうとすると、容赦なく排除した。彼らの反対運動は、中部電力に対して自分たちの立場を良くするためであり、5号機はどうしても建設してもらわねばならなかったのだ。

http://www.janjanblog.com/archives/41974

残念ながら私自身,エネルギー政策について提案できるものを持っていませんし,上記の2つの住民運動に対し,現地に出向いて「そんなことしてたらダメじゃないか」として説得できるような,度胸も知識もありません.
しかしこれらを目にしたとき,先週の出張の帰りに立ち寄って,阪急梅田の紀伊國屋書店で購入した,次の本のことを,思い浮かべるのです.

アート・オブ・コミュニティ ―「貢献したい気持ち」を繋げて成果を導くには (THEORY/IN/PRACTICE)

アート・オブ・コミュニティ ―「貢献したい気持ち」を繋げて成果を導くには (THEORY/IN/PRACTICE)

内容・目次はO'Reilly Japan - アート・オブ・コミュニティからどうぞ.
「アート・オブ・…」というのを日本語に訳すと,「〜技術」「〜術」とするのが良さそうです.ここで言うアートは,美術・芸術というよりは,技法や技芸を意味しています.まあ,美しさに関する要素も,ないことはないのでしょう.
同時に買った『かけ算には順序があるのか』を,紀州路快速東岸和田あたりで読み終え,次はこの本です.本は大判でフォントは小さく,その上,この1週間は日常生活に追われている感もあり,なかなか読み進められません.
これまで鉛筆書きしたページを,見直してみると…

  • pp.27-28: ベースギター奏者がLinuxユーザグループへ
  • p.39: バグのトリアージ(初出)
  • pp.66-67: わかりやすく話す・簡潔に話す・敏感になる・楽しく会話する・人間として会話する
  • p.75: レポート作成依頼を2種類のトーンで
  • pp.117-118: バグのトリアージ(詳細).トリアージ不測・トリアージが見えてない・トリアージ間違い
  • p.122: テキスト共同編集ツールGobby

こうしてリストにしてみると,先頭の項目を除き,コミュニティ運営法としては小さな点ばかりです.コストをかけて設置し,時間とともに充実させ,時には闘うような,コミュニティのことについては,正直なところ,頭に入っていません.
数年前,この本とだいたい同種の---ただし期間限定で人的規模も小さい---コミュニティの運営に携わったことがあります.産官学交流懇談会で,座長は学内別部署の,当時の肩書きはコーディネータ,現在はたしか特任教授の方で,私は補佐役です.「Buzzマーケティング」をキーワードに,紀北にお住まいで,内容に関心のある企業や農家の方の参加がありました.大学からは,当時私が指導していた大学院生の一人に加入してもらうとともに,座長さんからも技術に強い人を呼び寄せまして,勉強会の中で質問が出たら,彼らが素早く的確な回答を寄せてくれることもしばしばでした.当番制のブログを,県からの運営補助金がなくなってからもしばらく続け,コミュニケーションを楽しむことができました.
かけ算の話を少し.掲示板であの話題だと気づけば一通り読みますし,mixiのコミュニティのことは知っていて,そこからアクセスがある(URLが貼られていると推測できる)ことは分かっています*1.では自分の信念や,独自の調査結果を踏まえ,近い関心の人を見つけて,コミュニティを作ろうか,共著するか…という気持ちには,今のところなれません.上述の本を読んで知った,ミッション設定を含む初期コスト*2が,高くつきそうに思うからです.
ということでかけ算の話では,特定の主張の旗振り役というのではなく,今後も引き続き,自分のペースで,見かけた気になる情報---「気分の悪い」ものも含めて---の整理・検証や,これまでアウトプットしてきた内容の見直し・整備をしていくことにします.

*1:毒ですが,情報交換を得ながらあの内容かいなと思うことはあります.

*2:『コミュニティをキックオフする時には,主要な目的と核となるゴールをうまく描きだすことができれば,迷わずに先に進んで行くことができます』, p.38.