わさっきhb

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エビデンスに基づいた「かけ算の順序」研究

Twitterで,http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/796を知りました.
記載内容のうち,「エビデンスに基づいた理論があるわけではない」「教育学部の先生はもっとエビデンスに基づいた研究をして発表して欲しい」が気になりました.
これまで当ブログで言及してきた中で,エビデンスに関係のありそうなものを,取り出してみます.
なお,エビデンスといっても必ずしも数量的なもの(いわゆる量的研究)に限ることなく,実験や観察によるものと広めにとらえています.「机上の理論」ではないもの,と言うこともできます.またその範囲は「算数教育」とします.かけ算と関係のない事柄のエビデンスも,入っています.

きりぬき

三年の乗法九々の学習で,三の段がひととおりすんで,こどもたちは三の段の九々がすらすら唱えられるようになった。そこで,教師は次のようなテストを行って,こどもがかけ算の意味を理解して,九々を適用する力が伸びたかどうかを調べてみた。

問題 3人のこどもに,えんぴつを2本ずつあげようと思います。えんぴつがなん本いるでしょう。どんな九々をつかえばわかりますか。

どんな九々をつかうかという問に対して,3×2=6と答えたものが予想以上に多いことがわかった。これによってこどもは問題に出てくる数を,その数の意味を深く考えもしないで,出てくる順に書き並べ,その間に,かけ算記号を書き入れることがわかった。問題に出てくる数を頭の中にいったん収めて,演算の決定に導くように問題の場を組織だてる力が欠けているらしいことがわかった。そこで,その欠けていることについての再指導に入るわけである。
3は人数を表わしている数である。それを2倍した答の6は何といったらよいか尋ねてみる。それで,6人となって問題の要求に合わないことを説明する。このようにして3×2=6とするのが誤であることを明らかにしたとする。
しかし,上のような指導だけでは,問題をすこし変えてテストしてみると,ほとんど進歩しないことがはっきりわかってきた。つまり,一方を否定するような消極的な指導だけでは,前に述べたような問題を組織だてる力を伸ばすのに,ほとんど役だたないことがわかった。これが再指導に対しての評価であって,指導の方法を修正する必要をつかんだわけである。そこで;問題解決を,同数累加の形にもどして,倍の概念をしっかり押えるように指導したのである。今度は成功した。この事実を教師が見届けたのもやはり評価である。

V. 算数についての評価

  • addition fact:4+4=8など,覚えているたし算の答えを使う.
  • counting-all:1,2,3,…と順にを数える.
  • skip counting:2,4,6,…と飛ばしながら数える.
  • multi.fact:2×4=8など,覚えているかけ算の答えを使う.

(Mulligan: "Children's Solutions to Multiplication and Division Word Problems. 転載元

ある大学の先生が、小学校の先生と共同で、子どもたちのかけ算の理解について調べた調査結果があるんです。三年生から六年生を対象にして、どれくらい九九を覚えているかとかね。その調査問題の中に、つぎのような問題があるんです。
4×8の計算で答えを出す問題(お話)を作って下さいっていう問題です。普通の問題とは逆なわけですね。問題を作るのが『問題』なんです。
(略)
調査の対象になった子どもたちも,この問題をやったわけです。ではねえ、どれくらいの子どもたちが問題を正しく作れたと思います? 三年生と六年生の正答率を予想してみて下さい。横浜の小学校で、各学年五〇〇人くらいのデータです。すごい人数ですね
(略)
プリントの表を見てください。正しく問題を作れたのは、三年生から六年生まででほぼ同じ割合ですね。だいたい50%弱……(略)
ただし、式を逆にして問題を作った子どもが、どの学年でも15%くらいいるでしょ。かたいことを言わなければ、これもまあ正解だよね。そこまで正解とすると、三年生から六年生までどの学年でも、65%くらい。まあ大ざっぱに言って全体の三分の二といったところですね
(『子どものつまずきと授業づくり―わかる算数をめざして (子どもと教育)』pp.29-31. 転載元

乗数効果”とは「被乗数として用いられる数のタイプは演算としての乗法を知覚する上での困難性に対して効果なく,乗数として用いられている数のタイプが重要となる」というもので,1より大きい数では整数よりも幾らか困難なだけであるが,1より小さい数は非常に困難であるという傾向である。文章問題においても計算問題においても共に乗数効果の存在が指摘されている(Greer,1990,1992)。
(小原:小学校児童による有理数の乗法における乗数効果の分析. 転載元

学年別にみた場合,特に第4学年における対称問題の通過率が低いことと併せて,各問とも学年の上昇に伴い通過率の向上が指摘できる。また問題別にみた場合,×整数に対して,×帯小数,×純小数では通過率が明らかに下降している。しかし,非対称問題では同様な傾向は確認できない。上述の検定結果と併せて,特に第4,第5学年において明らかな乗数効果を確認することができる。
(出典および転載元は同上)

例えば,次の対照的なペアを考えよう:
あるロケットは1秒間に16マイルのスピードで進む.0.85秒ではどれだけ進むか?
あるロケットは1秒間に0.85マイルのスピードで進む.16秒ではどれだけ進むか?
純粋に,計算の観点では,どちらの問題も,16と0.85をかければ答えとなる.しかし前者のほうが,答えとして乗法を使用すると考えるのが難しい.実際,多くの子どもたちが,16÷0.85を解答として選択している.
様々な分類の(乗法の)場面に基づいた出題で,実験がなされ,いずれも乗数効果,すなわち,ある問題を解く際に適切な演算として乗法を認識・選択することの困難さが,乗数が「整数」「1より大きい小数」「1より小さい小数」のうちどれであるかに依ること,を示している.効果の大きさを,正答率の差で表すことにすると,乗数が「整数」と「1より大きい小数」の間では10-15%である.乗数が「整数」と「1より小さい小数」の間では,効果の大きさは40-50%になる.乗数が「1より小さい小数」のとき,積が被乗数よりも小さくなる(累加モデルには見られない)ため,難しさがアップしている.その一方で,これらの実験の知見として,被乗数が「整数」「1より大きい小数」「1より小さい小数」のいずれであるかは,感知できるほどの違いを見せていない.乗法の文章題の解釈に関する,この結果は,Fischbeinらが提案した理論に合致し,明確なパターンを示している.)
(Greer: "Multiplication and Division as Models of Situations". 転載元

この改革運動において米国数学教育学会が取った方策は,米国における改革に共通して見られる方法の具体例であると言えます。専門家が招集され,教職に関する研究と実践とを調べ,改革に向けた勧告を作り上げます。このような勧告は文書のかたちにされて広く配布されます。それらの文書の一つ,米国数学教育学会の「算数・数学科学習指導の専門職的基準」は,児童・生徒の学習水準の向上のためになぜ学習指導の変革が必要であるかについて,かなり明確に述べています。米国数学教育学会が描く変化は本質的なものです。
(略)
米国の教科教育学者は大きな変化を比較的短期のうちに求めてきました。実際,正にこの「改革」という言葉は突然の大規模変化という意味を内包しています。これに対して,日本の教科教育学者は,学習指導に関する長期にわたる漸進的,微小増加的改善が生じる方式を制度化してきました。この方式は明確な学習目標,全国的に共通なカリキュラム,および授業実践における漸進的改善に立ち向かう教師の勤勉,努力を含むものです。
(『日本の算数・数学教育に学べ―米国が注目するjugyou kenkyuu』pp.102-106. 転載元

いままでの
    「タイル×タイル」
というのは,子どもにはなかなかわからない。
    「外延量×外延量」
という計算は,面積などにたしかにあるわけです。しかし,それは一般性をもっていなくて,非常に特殊な物です。それでやはり,
    総量=内包量×容量
という考えに変えたわけです。
(『遠山啓エッセンス〈3〉量の理論』pp.154-155. 転載元

デカルト積は,(積の考え方として)非常にいいので,フランスではとにかく,小学校の第2〜3学年でかけ算を導入する際に非常によく使われてきた.しかしこの方法で導入すると,多くの児童が,かけ算の理解に失敗している.量の積として,デカルト積による算術的(乗法的)な構造というのは実のところ非常に難しく,複比例として理解できるようになるまでは,その修得は困難である.単純な比例(割合)の問題を最初にもってくるべきである.
(Vergnaud, G.: "Multiplicative Structures", isbn:012444220X (1983).転載元

乗法の学習は第2学年上半期に九九に伴って始まる。1つ前の教育課程から, 「一部分の学習者が被乗数と乗数の区別に難儀を感じる」,「中学校に入ったら被乗数も乗数も因数として扱う」などの理由で,被乗数と乗数の区別をなくし,最初から因数として扱うこととした(略)。これについて現場の授業等を観察したことがある。この処理は数計算の場合大きな差支えがないかもしれないが,量の扱いではやはり不具合があって,教師たちの丁寧な対応によって乗り越えているところである。
理数教科書に関する国際比較調査結果報告 p.181. 転載元

出題例

児童らの認識

教師らの認識

国際比較

エビデンスに基づいた研究は,必要なのか

ここで「エビデンスに基づいた研究は,必要なのか?」という“そもそも論”を検討しておきます.この質問に対して私は「あればよいが,教育においてそれは,必要不可欠ではない」という認識です.
さらに,

  • 誰がエビデンスをつくるべきか?
  • 対照実験でいいのか?
  • エビデンスがあれば,それに基づいて指導方法を変えていくことになるのか?

といった質問を考えてみます.最初の質問については,現状は,授業や指導の工夫,教科書や出題などの配慮によって,「2年生の導入時では,被乗数と乗数を明確に区別して扱っている」(布川, 2010)が確立していますので,言ってみればこの通説に反する側に,それは不適切であることをエビデンスとして示す責任があります.
2番目の質問については,Noと言わざるを得ません.量的研究や対照実験を単純に,教育の良し悪しへ適用するのはうまくいかないことが,次のように指摘されています.

わが国の数学教育の研究法のなかで、最も科学的な手法と見られるものは、おそらく実験心理学的研究法の亜流ではないかと思う。筆者はこのような研究法を悪いとは思っていない。むしろ若い研究者は、もっと心理学者に学び、その手法に熟達してほしいとさえ思っている。
しかし、それとともに、これまでのいわゆる実験心理学の成果が、教育はおろか、算数・数学教育の研究にも、それほど大きいインパクトを与えていない現状をみると、数学教育に固有な研究においては、心理学者への単なる方法論的追随であっては、大した成果は期待できないのではないかと思っている。
(平林一栄: 数学教育学研究の様態―TMEプログラムをめぐって―, 数学教育論文発表会論文集, Vol.22, pp.431-436 (1989). http://ci.nii.ac.jp/naid/110007173124. 転載元

たとえば、教育手法Aが教育手法Bよりも優れているということをどうすれば「科学的に」示すことができるか、考えてみよう。それには、同じ条件を満たす二つの学習者のグループに対し、A・Bの教育を施し、そして、その直後にその教育効果を計測し、AのほうがBよりも教育効果が高いことを、主として統計的に示さなければならない。実はここにこそ現在の教育学や教育工学の大きな問題が潜んでいる。
まず、この方法では長期の影響を測ることはできない。A・Bという二つの教育手法の教育効果を正しく比較するためには、それを施した後、なるべく他の影響を受けないことが望ましい。でなければ、測定結果が何に起因するか結論づけることができない。しかし、児童・生徒が実験以外の影響を受けないよう行動を制限することは倫理上許されないであろう。さらには、AのほうがBよりも教育効果が高いという仮説を立てながら、一部の児童に対し、比較をする目的だけからBを施すということには、学校からも保護者からも理解が得られないだろう。よって、実施直後に効果を測り、その後でAも施す、ということになる。こうした実験は授業時間を「借りて」実施するものであり、「実験」を目的として数カ月も通常の授業を変更することはできない。数日かけて実施することもままならないことが多い。
次に、この方法では、数量的に測定したり言語化したりすることができないタイプの教育効果は測ったり比較したりすることができない。(略)
さらに難しいのが、データが存在しない過去と現在を量的に比較することである。
(略)
以上のようなことを考えただけで、環境が児童・生徒に及ぼす影響や、ある教育方法がどれほど効果をもつかについて、科学的に立証可能な範囲がごく限られていることがわかる。
(『ほんとうにいいの? デジタル教科書 (岩波ブックレット)』pp.17-20. 転載元

最後の質問,「エビデンスがあれば,それに基づいて指導方法を変えていくことになるのか?」について,否定的な事例を紹介します.『小学校指導法 算数 (教科指導法シリーズ)』p.47では,ある文献の表や本文を転載して,「7の段を初期に指導したクラスの成績が教科書通りに指導したクラスより良かったという例もある」と記しています.その例が記載されているのは,次の文献です.

その後,日本中で,九九は7の段からになったかというと,そんなことはありませんでした.では,7の段からではなく2の段からのほうがよいという反証が出たのかというと,知る限り,そうなったわけでもありません.
エビデンスがあるのは,それに基づく教育・指導をするための必要条件にも十分条件にもならないと思うのが良さそうです.とはいえ,ある指導法を支えるものにはなるでしょう.限界には注意をしつつ,より良い学びとは何なのだろうという問題意識を常に持って,エビデンスを見ていかなければならないように思います.

(最終更新:2013-03-24 晩.「児童らの認識」のリンクをいくつか変更しました)

*1:ダウンロードしたものには,ページ処理にミスがあるようで,p.102の内容が入っていません.そのページを含む文献,具体的にはhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110003848104も取り寄せて,全文を読めるようになりました.