わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

教育者,経験的科学者,学者的哲学者

 論文執筆,研究室と授業の準備,家のこと(子らの入園・入所や新たな家族の準備)をこなしつつ,算数・数学教育でまた本を購入しました.

 著者の学位請求論文(博士論文)を書籍化したとのこと.
 ぱらぱらと見ていると,一つの表に出くわしました.

表2-2 3つの伝統の特徴(Bishop, 1992, p.713)

理論 探求の目的 証拠の役割 理論の役割
教育者の伝統 指導の直接的な向上 選択された例証的な子どもの行動 熟練した教師の蓄積され共有可能な智恵
経験的科学者の伝統 教育的現実の説明 説明されるべき事実を提供する客観データ データによって検証される説明
学者的哲学者の伝統 厳密に議論された理論的立場の確立 知りうると仮定される,あるいは開発されるべきもの 教育的現実が目指すべき理想的な状況

(p.245)

 Bishop (1992)は,算数・数学教育における学習や指導,内容,目的,カリキュラムなどを対象とする広範な算数・数学教育研究を国際的視座からみて,算数・数学教育研究においては(1)教育者の伝統(Pedagogue tradition),(2)経験的・科学者の伝統(Empirical-scientist tradition),(3)学者的・哲学者の伝統(Scholastic-philosopher tradition)という3つの研究の伝統が認められるという。そしてBishop (1992)は算数・数学教育における研究に必要とされる要素として探索と証拠,理論の3つを挙げ,上の3つの伝統の特徴を表2-2のように整理している。
(p.244)

 「Bishop, 1992」もしくは「Bishop (1992)」について,章末の文献情報を見ると,これまで[Greer 1992]として書いてきた文献と,同じ本に入っているようです.
 1枚めくった先(p.246)には,上記の表と考え方をもとに,著者なりに作り直した表があります.順番が,「教育者の伝統」「学者的哲学者の伝統」「経験的科学者の伝統」となっています.その本の記述や,私の見聞きしてきたことをもとにすると,そのコアとなるものは,次のようになるのかなと思います.

  • 教育者の伝統:教師の行動の体系化,教師重視
  • 経験的科学者の伝統:量的研究および質的研究,学習者重視
  • 学者的哲学者の伝統:論理的な分析,教師・学習者から距離を置く

 ところでこれらの3つは,算数・数学教育学のそれぞれの論文や言説---「かけ算の順序論争」にも当てはめることができると思います*1---を分けるためものではありません.むしろどの言明からも,この3つの観点のもとで位置づけを考えることができる*2と見るべきでしょう.もし,図にするのなら,ベン図ではなく,レーダーチャートがよさそうです.
 ただそれでも,この3つの分け方が必要かつ十分なのかという疑問はあります.もう少し読み進めると,「3つの伝統」を持ってくることの意義が見つかりました.

 Bishop (1992)は,国際的視座から数学教育学における研究について考えるとき,数学教育学において何らかの研究を行う際には,異なった社会や国の研究者の課題へのアプローチの仕方を決定づける次のような重要な5つの関係が浮かび上がってくると述べている。その5つの関係とは,(1)「現状(what is)」と「理想(what might be)」,(2)「数学」と「教育」,(3)「問題」と「研究方法」,(4)「教師」と「研究者」,(5)「研究者」と「教育制度」である。(略)
 特に,個々の研究者内で研究の重点の置き方に影響を及ぼす3つの関係に限ってみると,第一の「現状」と「理想」を両極とする線上に上述の3つの伝統を位置づければ,経験的・科学者の伝統は「現状」に最も近いところに位置づき,教育者の伝統と学者的・哲学者の伝統は「理想」に近いところに位置づくことになる。また,第二の「数学」と「教育」を両極とする場合には,学者的・哲学者の伝統は「数学」に最も近いところに,経験的・科学者の伝統と教育者の伝統は「教育」の近くにそれぞれ位置づけられる。そして第三の「問題」と「研究方法」を両端とする場合には,上述のようにこれら3つの伝統はそれぞれ固有の研究方法をもっているので,それらを順序づけ区別して位置づけることは難しいが,教育者の伝統は解決すべき教育問題を提起するという点を考慮すると,それを他の2つの伝統よりも「問題」に近いところに位置づけることができるであろう。
(pp.246-247)

 これこそ,ベン図にして,どの項目がどの伝統と関連があるかを視覚化することができそうです.
 そして自分の研究と,つながってきます.今春の修了生で,去年12月に学会発表させた中に,ある用途での全文検索に求められる特性として「携帯性」「正確性」「瞬時性」の3つを挙げてもらいました.その上で,デスクトップ検索ソフトウェアは,携帯性・瞬時性は満たすとしても正確性は満たさず,grepに代表される逐次検索コマンドは,携帯性・正確性は満たすけれども時間は検索対象のサイズに比例するため瞬時性は満たさず,研究室でかつて開発し,学術論文にすることができた書誌情報検索システムは,正確性・瞬時性は満たすがサーバ接続を必要とするため携帯性は満たさない,そして提案するシステムは3つすべての性質を満たすのですよ,という話の展開で,スライドにも,ベン図を描かせたのでした.
 そういえば,「教育者の伝統」「経験的科学者の伝統」「学者的哲学者の伝統」からなるベン図を描いたとき,その3つすべての交わり(共通部分,積集合)が何になるかを考えてみるのは,面白そうです.それが「数学教育学」だ…なんてわけはないですね.数学教育学はおそらく,3つの伝統をすべて含み,かつその外にあるものも含むでしょうから,全体集合になるはずです.

*1:「かけ算の順序」に関する現状の教育について,「教育者の伝統」「経験的科学者の伝統」「学者的哲学者の伝統」のそれぞれに近い文献を提示するのは,容易です.私の[5×3]カテゴリで,2011年に書いてきたことは,それら伝統への探求と言ってもいいくらいです.一方,その教育の仕方への批判を見ると,『かけ算には順序があるのか』は,学者的哲学者の伝統に一応近く,あと1972年に遠山啓が書いた,トランプ配りの乗法への適用を含む記事は,教育者の伝統に一石を投じるものと見ていいでしょう.しかしいずれも「伝統」への結びつきは十分と言いがたく,加えて,経験的科学者の伝統に関連する情報源というのは,思いつきません.

*2:「これらの伝統はすべての国の算数・数学教育研究において,程度の差こそあれ,認められるものである。そして,今日の数学教育学における研究には程度の差こそあれこれら3つの伝統のすべてにある程度影響を受けているものが多い。」(p.246)