- 作者: 柴田勝征
- 出版社/メーカー: 花伝社
- 発売日: 2012/05/01
- メディア: 単行本
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内容については,この書名と,
(柴田の注:私が調査した限りでは、フィンランドでは見学者が参観しているショーウィンドウ的な授業を除けば、そのような授業はしていない、とフィンランド人の教育学者も、他のヨーロッパの国の研究者も断言しています。)
(p.218)
を判断材料として,それでも関心があれば全文をどうぞといったところでしょうか.*1
教育のこと,算数・数学のことから離れまして…著者のフィンランド訪問記の中に,かっこいい話が入っていました.
さて、おしゃべり好きのアイルランド人を相手にしているので、話は延々、原発事故の話からヨーロッパの環境問題へと発展し、私が集中講義をする予定になっている時間が刻々と迫っています。「あのー、2時から私は講義を開始することになっているんですよ、ねえ」とヨキネンさんに尋ねたら、「フィンランドにはアカデミック・タイムというのがあって、『午後2時から』という掲示が出ていたら、それは本当は『午後2時15分から』と読み替えることになっているのです。だから本当は未だ15分以上余裕がありますが、そろそろ行きましょうか」と言われました。「ええっ? それじゃ、『午後2時から午後4時まで』と印刷されているのは、本当は『午後2時15分から午後4時15分まで』と読み替えるのですか?」「ええ、その通りです。」(続く)
(p.239; PDFはp.182)
これって,あの…「なんとか時間」は万国共通!?
というのも,「和歌山時間」という言い方を,耳にしたことがあります.行楽なんかで,「2時集合としても,全員が揃ってさあ出発となるのは2時30分くらい」「だから,2時集合と言われても,2時半に行けばいいのだ」という,ちょっとぐうたらな物の考え方です.*2
ただし遅刻者---遅刻と自覚していない人もいるかもしれませんが---は,みんなぐうたらというわけでもありません.そういった超過時間こそ有意義に活用できるかも,といった話は,以前,大学教授という仕事で取り上げています.
真にかっこいいのはその次です.
(続き)「それでは、例えば、本当に2時30分から始めたい時には、『2時15分から始めます』と書いておくのですか?」と私が質問したら、彼女の応えは「そういう時には『文字通り2時30分から』というように『文字通り』を意味する形容詞を付けておくのです。そうすれば『文字通り2時30分から』ということになりますが、その形容詞を付けないと、『本当は2時45分から』という意味になります。」でした。
(同)
「その発想はなかった」という言葉を,使いたくなったのは今年,何回目でしょうか.感激しました.
しかしまあ,和歌山時間にせよ,なんとか時間にせよ,「文字通りな!」「絶対やで!」と言っても遅れる人がいるのが,世の常でして.
(最終更新日時:Thu Jun 28 12:53:48 2012ごろ.「日向時間」を思い出したので追加しました)
*1:この「柴田の注」は,PDFファイルには入っていません.「そのような授業」というのは,「最後に付け加えておきたいことですが、フィンランドの教育では解答が正しいか間違っているかというのは無視して、正しい答えをしても、なぜそう思うのか。間違った答えをしても、なぜそういう答えをしたのか。why、「なぜ」という問いをしょっちゅう繰り返すというように、思考過程に注目する教育をしているようです。」(http://www.science-for-all.jp/minutes/3-1.html)を指しています.
*2:王様の仕立屋〜サルトリア・ナポレターナ〜の第1話(order 1)には,「日向時間」が書かれています.