わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

コメント補足

アクセスログを見るとhttp://blogs.itmedia.co.jp/magic/2011/12/6886-2d5b.htmlからアクセスがあって,どちらさんだったかなと見に行くと,あああの件か,だったのですが、最後(2012/09/05 12:42)についていたコメントが,およそ1か月前のコメントに対して自説を並べ,「これらについてどう思われますか?」と書いてありまして,ちょっと驚きました.私は中学数学教師ではないのですが,コメントしました.
いくつか補足です.まず,「トランプを配るときのやり方」「トランプ配り」「カード式配り方」が書かれている,手元の本は次のとおりです.

ミカンを配るのに,トランプを配るときのやり方で配ると,1回分が6こ,それを4回くばるのだから,それを思い浮かべる子どもは,むしろ,
6×4=24
という方式をたてるほうが合理的だといえる。
(『遠山啓著作集数学教育論シリーズ 5 量とはなにか 1 (1978年)』p.116;りんごのかけ算より孫引き)

「6コのリンゴを3人にわける1人前は何コずつになるか」という等分除の問題は,
6÷3
となるが,これから答えを出すには,トランプを配る方法を使うと,まず1回配って3コ,2回目は3コで,結局3コが6コのなかにはいくつ含まれているか,を考えることになって包含除に転化する。したがって分離量では等分除と包含除は互いに転化し合うものとなる。事実上そのように考えることができないと困るのである。
(『遠山啓エッセンス〈3〉量の理論』p.87;関連:遠山啓エッセンス,2度読み

と答えてもよいではないかという返事をして、私はようやく一時間の宿題を解いたわけであるが、一週間ほどのちに、遠山先生に以上のことをお話したら、
「矢野君はやっぱり算数は素人だね。実際、矢野君の言うように考える子がときどきあるんだよ。われわれはこのような配り方を、カード式配り方と呼んでいるがね」
ということであった。
つまり、遠山先生のお考えによれば、いやしくも数学の教師たるものは、乗法の交換法則4×6=6×4に対してもここに述べたような二つの方法による説明を知っているべきである、ということであった。
(『おかしなおかしな数学者たち (新潮文庫)』p.124;もう少し,書きむしるかより孫引き)

ところで,「矢野君の言うように考える子がときどきあるんだよ」はちょっと,気になります.そう考える子がどれくらいの数(または割合)いるのか,知るすべがありません.実態調査の例や文献も,見当たりません.まあ,教材や指導方法は常に改善が求められており,より新しく確立されたものを採用すべきだという極論に立てば*1,トランプ配りの乗法への適用というのは,「1個ずつ置くか,2個ずつ置くかという置き方ではなく,置いた結果に着目させる」(『活用力・思考力・表現力を育てる!365日の算数学習指導案 1・2年編』p.66)によってシャットアウトできてしまうのですが.
書いたコメントで,次の焦点を当てたのは「等分除・包含除」でした.これについては,今年になって,新旧や英語の情報まで見直した上で,包含除と等分除 再考として整理しています.過去にも現在にも,また海外でも,それらの違いに注意して指導することが,期待されています.
分離量も含めて等分除・包含除への言及がよく見られる,算数を専門とする現職の先生のブログを一つ,アンテナに入れ,当ブログのサイドメニューでリンクしています.「等分除・包含除」が入っている最新記事は,あまりのあるわり算(大阪研修から2) ( 小学校 ) - 授業がんばりMATH - Yahoo!ブログのようです.Yahoo!ブログで検索もできます.
さて,遠山啓が記したという,13リットルの醤油の件は,きちんと引用すると次のようになります.

従来のように等分除と包含除をたがいに氷炭相容れないような別物と考えるのは正しくない.少なくとも分離量の段階では同じ過程を別の角度から眺めたものと考える柔軟な見方の方がよい.
たとえば12枚の紙を3人に分けるという問題は,意味の上からは明らかに等分除であるが,1人1枚ずつトランプ配りの方法をとれば包含除とみなすこともできる.
しかし連続量になってくると,この2つは明らかに別物であるとみなければならなくなる.13Lのショウユを3人に分けるのと,3Lずつに分けるのでは明らかに意味が違う.
13L÷3は4\frac{1}{3}Lであって余りのない答えがでてくるが,13L÷3Lは4と余り1Lという答になる.
ましてや第一用法と第三用法になると,その意味のちがいはますます明瞭になってくる.
だから除法をどちらで意味づけするか,という問題は軽くみることのできない重要な問題なのである.(略)
(『遠山啓エッセンス〈2〉水道方式』pp.177-178;時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のりの孫引きを含む)

「第一用法」「第三用法」については,引用のすぐ上で書かれているのですが,字数の都合で省略しました.原文をご覧いただくか,包含除と等分除 再考でご確認ください.「度の三用法」ではなく「割合の三用法」ですが,4マス関係表として整理も試みています.
この醤油の件,「連続量の等分除・包含除」とは別の観点で,説明することができます.Greerが書いた中の,“Equal measures”,「同等の量」です.
まず,乗法の式で表しておくと,「1つ分の量×幾つ分=全体の量」になります.そして「同等の量」という場面では,「1つ分の量」と「全体の量」が連続量,「幾つ分」が整数すなわち分離量になります.このような数量の表記は,日常にもよく見られます.海外だと,「75g×5」や「3×80g」のように書かれるのですが,×の左右のどっちが「1つ分の量」でどっちが「幾つ分」なのかは,式からすぐに分かります.
次に除法を考えます.全体の量を何で割るかと考えると,「全体の量÷幾つ分=1つ分の量」が等分除,「全体の量÷1つ分の量=幾つ分」が包含除になるという次第です.
こうして見ると,連続量だから,等分除と包含除を区別しなければならない,というのはいささか乱暴に思えます.「連続量×連続量」のケースでは,やはり,被乗数と乗数の値(や意味)が交換(変換)可能になりそうだからです.
しかし「同等の量」では,等分除・包含除の前提となる乗法の構成が「連続量×分離量」となり,被乗数と乗数は異質のものです.したがって,等分除に基づく「全体の量÷幾つ分=1つ分の量」だとわり算の結果は整数・小数・分数のいずれかで表せる---常に分けられる---けれど,包含除に基づく「全体の量÷1つ分の量=幾つ分」だと商は整数にしなければならない---割り切れない場合もある---のです.
「演算決定」については,「かけ算の順序」と算数教育をより深く理解するための3つの四字熟語をご一読ください.過去にも書いていますが,数学の言葉を使うなら,ある場面が等分除や包含除であるというのは,わり算の式で表すための十分条件になります(他の十分条件あるいは理由によって,わり算の式で表される可能性もあるのです).工学やビジネスの観点だと,演算決定は,コンセプトメイキングに通じるものがあります.
「各演算が用いられる場合」は,学習指導要領に書かれています.

〔第1学年〕
A 数と計算
(2) 加法及び減法の意味について理解し,それらを用いることができるようにする。
ア 加法及び減法が用いられる場合について知ること。

〔第2学年〕
A 数と計算
(3) 乗法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。
ア 乗法が用いられる場合について知ること。

〔第3学年〕
A 数と計算
(4) 除法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。
ア 除法が用いられる場合について知ること。また,余りについて知ること。

それぞれ,どんな場合が該当するのかは,「これを読めば答えが載っている!」というわけにはいかず,学習指導要領解説をはじめ各種資料や解説書,学習指導案などをもとに,輪郭を描く必要があります.
乗法の演算決定で,個人的によく振り返る出題事例を,貼り付けておきます.

(略)「a×b」の形で表せる問題の中にも,要注意なものがあります.

1本136円で,280mL入りのジュースを4本買います。
代金はいくらですか。
(東京書籍 平成23年度版 小学校教科書 新しい算数 3年上p.104; 算数デジタルカタログ見本p.16)

この問題,「かけて,答えを出す」とすると,正解となる「136×4」のほか,「136×280」「280×4」「136×280×4」も候補になります.「かけ算の順序」は考えなくていいとしても,これら4通りの中からどれが正しい式なのかを,何らかの方法で見きわめる必要があります.
倍指向,そして2年・3年で標準的に学習している方法に基づけば,「何を求めたいのか」「加減乗除のどれを使えばよさそうか」「『一つ分の大きさ』×『幾つ分』=『全体の大きさ』に当てはめることができないか」と考えていくことで,正解を得ることが期待できます.もし自力でできなかったり,間違えたりしたとしても,先生や親きょうだいが,このプロセスを解説するなり,本人とともに考えるなりすれば,答えにたどり着くことができそうです.

積指向を展開,それと文章題3つ

(最終更新日時:Sat Sep 8 07:04:25 2012ごろ)

*1:強調しておきますが「極論」です.私自身は,新しければ良い(古いものは駆逐された)とは考えず,古いもの新しいもの,見聞きし得る様々な文献・事例を踏まえ,自分で責任を持って計画を立てて,プログラミングの授業を担当をしています.算数・数学教育もそうあってほしいと願っていますし,算数・数学を専門とされる方々の授業も実際どうやらそうなっていると,理解しています.