わさっきhb

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連立方程式の解き方

いきなりですが問題です.

1冊,本を読んでいます.

小学校の算数で考えられるものもありますが,中学校の数学の問題のほうが多いように見えます.奥付を見ると,著者は,「文部科学省学習指導要領改訂協力者会議委員(中学校数学:2006.7〜2008.8)」とのこと.
冒頭の問題は,この本のp.70にあります.本文の解説を読んでいく前に,立ち止まって,だいたい次のことを考えました.

  • 最終的な答えが,与えられた式の解になっているか解が,題意を満たすかチェック.x=3, y=2を,①に代入すると左辺は3+3・2=3+6=9で右辺と等しく,②に代入したら左辺は3・3−4・2=9−8=1でこちらも右辺と等しい.なので確かに,解になっている.
  • 解が一つだけでいいかのチェック.①にどんな実数をかけても,xとyの係数のペアは,②のxとyの係数のペアと一致しない(もし一致するなら,解なしか解が無限にある).平行でない2つの直線の交点となるので,解はちょうど一つでOK.
  • 「Sさんの解き方」を順に見ていく.辺々を引いて,足して,もう1回足したら,yだけの方程式になった.各ステップでxの係数,yの係数,定数(右辺)に計算ミスはなさそう.y=2,そしてx=3と求めるところも問題なし.
  • うん,これなら,「正しいですか,間違いですか」と言われれば「正しい」になる.
  • 理由を言えるよう,各ステップを見直すと…ああ,13y=26を得るのに,①を3回足して,②を1回引いているのか.てことは,①を3倍して,それから②を引けば…xの係数は3−3で0,yの係数は3・3−(−4)=9+4=13.右辺は9・3−1=27−1=26.これでも13y=26になる.
  • 理由としては「①を3倍し,②を引くことで,xを消去している」といったところか.
  • ただ,この問題だったら「3回足す」なんだけど,もっと多くの回数を足す必要があるときは面倒だし,係数に無理数や文字が来ると,手も足も出ない.うーん,「同数累加アタマ」になってしもとるなあ….

といったところで,本を読み進めました.結果は下表のとおり(p.71).

「5:答えがあっているから正しい」が19人と,正しいと回答した中で,過半数を占めています.本文でもここに着目し,「この19人に共通して見られる傾向は,面談調査に対して,「生徒Gのアイデアについては,あまりよく覚えていない」と応えていることである。この事は,教師の援助によって理解された生徒Gの意見が,約半数の生徒たちにはまったく反映されていないことを物語っている」(p.70)と書いています.
このうち「生徒G」というのは,この調査より前に「①−②+①=①×2−②」によって,別の連立方程式に対して同様の解法を説明している生徒を指します.とはいえ時系列は逆で,生徒Gやほかの生徒による,連立方程式に対する正解・不正解を含む様々な解き方を授業で進めたあとに,冒頭の調査を行ったという次第です.
幸いにも,著者の解説を見る前に,表の番号でいうと5や7に気づいていて,頭の中で考えてみて良かったと思っています.他の分類,とりわけ6を理由として書く生徒のことまでは,思いついていませんでしたが,これは反省材料です.
「同数累加アタマ」についても,この出題に関するまとめとも言える段落で,きっちり書かれていました.

一方,理由項目1と2に分類された5人の生徒は,加法や減法はその順序を交換することが可能*1であり,かつ,乗法は累加と同じであるという認識をもったうえで,2つの式が同値であることを理解していたことが面接調査で明らかにされた。先に述べた19人の生徒たちが,等号記号を「算術的同値性を示す記号」と解釈していたのに対して,これら5人の生徒は,教師が意図していた「数学的構造の同値性」を理解していたと言える。それゆえ,本事例の分析によって示されたコミュニケーション効果の多様性は,等号記号という数学的コードの解釈が,算術的同値性に基づくものであるのか,あるいは,数学的構造の同値性に基づくものであるのかという,同値性に関する認識の差異として説明することができる。
(p.72)

この本はまだ読み終えていません.序盤から,算数・数学の本にしては歯ごたえがある内容です.行き帰りのバスの中で,読み進めていくとします.


ところで,この本の「序」に,大学教育・情報教育の中でも同様に考えなければならない,興味深い問題提起がなされていました.書き出しておきます*2

授業は教師のパフォーマンスを意味するのではない。学園ドラマで映像化される,教室の後ろから見た黒板に立つ教師の姿が授業ではない。授業は黒板の前で行われているのではなく,1人ひとりの学習者の頭の中(心の中)で起きている。授業は,単なる刺激と反応という行動主義モデルでは解明できない複雑さをもっている。その複雑さは,学習者1人ひとりが異なるという,人間という種の個別多様性に依存している。それゆえ私たちは,指導法Aと指導法Bとの比較を,自然科学の研究者のように実験的に究明するという方法を用いないのである。そもそも人間科学としての教育学は,人間とは何かという問いに答えるものでなければならない。人間とは何かという究極的な課題が大き過ぎるならば,せめて数学教育学で解明すべき「人間とは何か」という問いは,数学を学習する思考過程の解明を通して「人はこのように考えるものである」という人間理解の一部を導き出す問いでなければならない。人間科学の原点に立ち戻り,人間が人間を対象とすることに内在する難問を改めて問い直すという作業が,私たちには必要になってくるのである。
(p.7)

(最終更新日時:Fri Sep 7 12:45:22 2012ごろ)

*1:引用注:a−b=b−aではなく,ここではa−b+a+a=a+a+a−b.

*2:同ページの上部の記述も,興味深かったのですが,算数ものづくり2で取り上げたのと類似した指摘・批判なので,割愛します.