- 作者: 算数教育研究会
- 出版社/メーカー: 東洋館出版社
- 発売日: 1965
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「缺点」すなわち欠点は,そこでの教育が持つという意味ではなく,上記の本で指摘している欠点です.何に対してかというと,「水道方式」です.
第一章第二節には,「系統的学習と水道方式」という小見出しがついています.本書全体から見れば少ないページ数ですが,数項目を要して水道方式が概観されており,最後の項は「〔4〕水道方式の計算体系の缺点」となっていました.
節の最初と,〔4〕で指摘している「缺点」をいくつか抜き出します.
ところがこの流行も昭和三十七年を境に,急速に衰えて現在に至っている。
(p.16)
この意味では,水道方式は,ある種の病人に対しては,トンプク薬的な役目を果たしたと言える。トンプク薬は,長く用いるべき性質のものでなく,健康者には,もちろん不必要なものである。
(p.17)
〔4〕水道方式の計算体系の缺点
このことについても,ずい分論争されたことであり,ここに事細かに述べることはその必要もなく,紙面も許されない。
結論的に言って,水道方式の考えは,根本において,その誤りを侵している。
その第一は,一般(典型)から特殊(非典型)へという考え方である。この考え方の根底には,形式的,注入的な考えがある。結果主義的である。
指導の体系は,やはり,易より難へというのが原則でなければならない。この考えに立てば,時により特殊から一般に入る場合と,反対に一般から特殊に入る場合が生じる。
(p.20)
誤りの第二は,計算と数の概念を切りはなそうとするところにある。
この考えは,おそらく暗算を極度に軽視するところに原因があるかも知れない。
(p.21)
誤りの第三は,系列の中に論理的矛盾を蔵していることである。*1
(同)
私たちは,黒表紙教科書と,水道方式の体系を対照してみて,それぞれ立場によって筋の通ったものであることを認める。
最初の観点を肯定すれば,両者とも正しい。
問題は,これが教育の指導体系として適切かどうかということである。
黒表紙教科書は,長い実践を経て,論理的には正しい系統であるが,そのままでは,教育の体系として不都合であるとされた。
水道方式は数年を経て流行がとだえた。どこかに無理があったのである。
水道方式は,その創始者が頭の中で,学問的に分類した系統を,そのまま教育の指導体系としてしまったところに誤りがあったのではないかと思われる。
この分類は,教師のひとつの教材研究とすべきものと私は考えている。
私たちは,一般から特殊ということを原則とすることには,反対しながらも,方法技術の面では,時々とり入れている。
それは,さきに例を挙げたように,一般的なものが分かり易いという場合だけではない。
教育の場では,方法に変化と興味を与える必要がある。こどもの能力や情態によっては,何事も易より難に行く方法は時に倦怠を生じる。こんな場合は,最初に困難な一般的なものに直面させていく方が,学習が活気づき,能力が上がる場合がある。
だからといって,これをカリキュラムの系統とすることは出来ない。あくまで実際指導での技術的な問題である。
(pp.22-23)
最初に読んだとき,これは「“正しい”攻撃」をやっているなと感じました.
「間違い」ではなく「誤り」を使っているのは,著者の言葉感覚によるものでしょう.それと,最後の引用の中に「筋の通ったものである」「正しい」と書かれていますが,限定的な中での筋や正しさです.それらはいわば前置きです.論理的矛盾の指摘と合わせ,結論的に,教育の指導体系としてみたときの疑義を示すのが,柱となっています.
一方その本で,著者らの教育体系や指導方法が「正しい」と明記している箇所は,見当たりませんでした.
そのかわり,より多くのページをとっている本題のところで,現状はこうである,と記してあるわけです.付属の内外の授業実践や議論を踏まえてのものでしょうし,いくらか,未来に向けての提言も含まれていたのでしょうが.
ふだんの心がけとしては,理解・許容できないものがあったときに,そのあら探しをするのではなく,現状はこうなっている,これまではどうだった,といったわけでこれからはこれこれこのようにしていくのがいいのではないか,と「現在・過去・未来」の三点セットを提示するのが良さそうです.かけ算の話にも適用できるよう,見直してみます.
本エントリは“正しい”攻撃は最大の防御のほか,素人,自分が正しい? 相手が正しい?,綱引きの,ある意味続編です.
*1:そのあと例として,素過程では,9+9の筆算が9+1の筆算の前にあるのを,「論理的に逆」と批判しています.