ここには、文章修業にとって二つの教訓があるような気がします。
第一に、大本営の通達に従って書かれた部分、これは、どの新聞にもほぼ共通なもので、それだけ、読者にとっては強力な情報であるわけですが、あの投書の山から察すると、実際は、この部分は読者によって軽く読み過ごされていて、一向に目立たない一句や一語だけが読者の注意を惹いているように思われます。それだけが新鮮なもの、意味のあるもの、重要なものと受け取られていたように思われます。
逆に申しますと、読む人にとって本当に重要な事柄であるならば、どんな控え目な表現でも、読む人の心を強く捕らえるのでしょう。表現の強弱や巧拙の問題より前に、他人に伝達すべき重要な事柄を自分が持っているかどうか、という根本問題があるのです。それがあって初めて、文章の工夫というのも意味があるのです。それがなかったら、文章などを書かずに、静かにしていた方がよいように思います。
(『私の文章作法 (中公文庫)』pp.45-46)
第二の教訓は、限定や限界の必要ということです。いいえ、別に難かしい話ではありません。相撲の技術は、狭い土俵というものがあるから生まれたのだということです。もしも直径百メートルというような土俵であったら、相撲は、到底、あの美しい緊張の瞬間を生み出すことは出来ないでしょう。大自然を写すためにキャンバスを無限に大きくして行ったら、迫力のある絵が描けるでしょうか。そう考えると、何を書いても良い、どんな言葉を使っても構わないという言論の完全な自由というのは、実は、少し始末の悪いものなのです。
何も、戦争中の厳格な言論統制の方がよいなどと言っているのではありません。しかし、どこかに土俵のようなもの、額縁のようなものがあった方が、本当に重要な事柄が鮮明に浮かび上がり、文章に緊張が生まれるのだと思います。今日では、面倒な話ですが、そういう限定や設定を自分で作り出して、これを自分に課するほかはないでしょう。
(p.46)
1995年発行の文書本を持っていますが,巻末によるとこれは1971年に潮出版社から刊行されたとのこと.本文でたびたび,著者は戦後,20年間教授を務め,太平洋戦争中は新聞記者をしていたと記しています.
先の教訓のうち,読者の注意をひく「一句や一語」が大事だよというようには,読めませんでした.むしろ「他人に伝達すべき重要な事柄を自分が持っているかどうか」が肝心なものに見えてきます.工学の教育研究を通じて知った言葉を使うなら,コンテンツ(content)です.
あとの教訓については,限定や限界が“すでにあると認識すること”と,それらを“自分で設定すること”には,違いがあるように思っています.それぞれ,コンテキスト(context)・コンセプト(concept)と分けることができます.
研究の話でいうと,contentは成果に対応します.ただし自分の関わる範囲では,問題を解決するためのものづくり(システム開発)も,成果となり得ます.一般的な見方は,それらは成果というよりは,問題解決の手段であり,定量評価や統計分析などを伴った結果を,「成果」と呼ぶよなあというのも,自覚しています.
ともあれ成果を,論文やスライド,書き言葉や話し言葉で伝える際,言うべきこと・言ったほうが良いこと・言わないほうが良いこと・言うべきでないことを決めていくのに使用する大きな考え方が,contextとconceptとなります*1.contextなしの口頭発表は独りよがりに陥りやすく,conceptなしの論文は,結局のところ何を言っているのかが分からないとなりがちです.
上の引用では,「他人に伝達すべき重要な事柄を自分が持っているかどうか」を「根本問題」としていましたが,私にとってはそれは,さほど重要ではありません.学生の研究を見ていて,重要な事柄を見失っているようならば,研究の完了に必要なことを,おおよそいつまでにすべきかに注意しながら,指示するようにしています.伝えたい何かは,論文を書いているときに,形になって現れてきます.
自分にとっての根本問題は,「一つの問題に対して,複数の解決法があるとき,どれを選んで,形にするか?」です.複数の解決法のうち,複数が正解/成功となるケースもありますが,基本的に選ぶのは一つです.いずれも正解/成功にたどり着けそうになければ,最善解を考えることになります.
そしてこの問題設定は,ある場面において使用すべき手法はこれ,というものが確立している状況でも,他にどんな手法(複数の解決法)があるのだろうか,そしてなぜ淘汰されたのだろうかと,立ち止まって考える機会を与えてくれるのです.
昔書いたこと:
- 表現者へ
- 理系の企画力! 〜 で,コンセプトとは?
- 土俵,画布,原稿用紙十枚(同じ著者の『論文の書き方』を取り上げています.)
- 自分を支えるものは何か,考えてみた
*1:小さなレベルで,より良くするために考えるのは,著者の言葉を借りるなら「文章の工夫」です.