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英語教育について,正反対の2冊を読む

[isbn:9784894766631:detail]

[isbn:9784396614447:detail]

2冊を,この時期に読むことができて,良かったと思っています.勉強になりました.TOEFLに関しては,『英語教育、迫り来る破綻』は「反対」,『国際的日本人が生まれる教室』は「推進」と正反対ですが,読み比べると,英語のネイティブ・ノンネイティブに関して,表現は違えど,ほぼ同じことを言っているところもありました.この2冊は相補的なものとして,英語教育の現状を知り,初等中等教育の今後を想像する際のガイドになるように感じました.
本記事では両書への批判を含むので,公平を期すため,著者について,こちらの知っていることを書いておきます.『英語教育、迫り来る破綻』の4人の著者のうち,江利川先生は同じ所属(和歌山大学)ですので,存じ上げております.過去に,月1回の会議で同席し,ご発言から,学部の代表とはそういうことなのかと学ぶ機会を得たのを思い出します.『国際的日本人が生まれる教室』の著者・中原先生とは直接の面識はございませんが,和泉高校で校長先生を勤められた際に,高校訪問をさせてもらったことがあります.
といったところで,2冊にもう少し踏み込んでいくことにします.入手と読み進めの経緯ですが,『英語教育、迫り来る破綻』が出るのは,http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/32877012.htmlを見ておりまして,かなり前から知っていましたが,先に入手したのは『国際的日本人が生まれる教室』のほうです.大学生協だったか,難波のジュンク堂だったか,ちょっと思い出せません.同時に買った他の本を読んでいき,『国際的日本人が生まれる教室』を“積ん読”していたところに,Amazonで予約していた『英語教育、迫り来る破綻』が届きまして,先にこちらを読み通しました.終えたところで,横積みにしていた『国際的日本人が生まれる教室』が目に留まり,中を断片的に見ていくと,英語教育の話に限らず,エピソードがいきいきしているなと思いまして,頭から読んでいき,一昨日,こちらも読み終えたところです.
英語教育から少し離れたトピックで,自分自身の経験と波長が合い,今後の授業や学生指導で活用していければと思ったことを,両者から一つずつ,挙げていきます.
『英語教育、迫り来る破綻』では,ことばの正体に関連して,「父は帰宅してから、夕食を食べた。」と「父が帰宅してから、夕食を食べた。」の違いを取り上げていました.それぞれ「食べた」の主語が異なります.前者は父であり,ほかの可能性はありませんが,後者は誰か特定できません(父でもかまいません).というのも,その「は」の守備範囲は文が終わるまでなのに対し,「が」の守備範囲はその後に出てくる最初の動詞のところまでだからです(pp.61-62).
この「守備範囲」の初出にカッコ書きで,「専門用語では「スコープ」」とありますが,スコープは,C言語をはじめプログラミングでは,変数などの有効範囲という意味で用いられますし,専門を離れたところでも,議論の対象を指すことがあります.スコープを確認するためのサンプルコードを,授業で提示する際に,スコープという考え方はビジネスでも,語学でも大事なんだよと,学生に伝えていこうと思います.
『国際的日本人が生まれる教室』で,なるほどと思ったのは,グローバル人材を著者なりに定義していることです.その定義は,「異なる文化,言語,宗教の人々と最大公約数的な理解のもとに共存できる人材」(p.19)です.ここに,かつて研究を通じて学んだ,コンテキストとコンセプトの違いが凝縮され,体現されていたのでした.
ここは,言葉を増やさないといけません.「グローバル人材が求められている」が,コンテキストに相当します.すると当然のように「グローバル人材って何だろう?」という疑問が思い浮かびます.また『英語教育、迫り来る破綻』p.9では,「グローバル人材=英語ができる人」という認識では短絡的でまずいことが指摘されています.
コンテキストを,外部からの制約あるいは要件とみなすと*1,問題解決者(研究者,教育者,開発者を含む)が行うことは,そのコンテキストの中で,解決したり推進したりするためのメッセージをつくることです.それがコンセプトです.コンセプトを概念と直訳されるとまずいので,「デザインコンセプト」もしくは「設計思想」としたり,「思い(を語る)」や「キャッチフレーズ」といった言葉に置き換えたりされることもあります.
「異なる文化,言語,宗教の人々と最大公約数的な理解のもとに共存できる人材を育てる」は,学校教育を通じてグローバル人材を育成するための,コンセプトになっていると理解した次第です.
読んで勉強になったことの次はというと,読んで引っかかりを持ったところですが…一つずつ,取り上げるとしましょう.
『英語教育、迫り来る破綻』の最初の解説(江利川「大学入試にTOEFL等」という人災から子どもを守るために)では,多彩な数値情報の中に,次のように書かれた段落があります.

自民党提言」は高校段階で「TOEFL iBT 45点(英検2級)等以上を全員が達成する」としていますが、責任ある政府与党がここまで学校教育と生徒の実態を知らないのかと慄然とします。まず、TOEFL iBT 45点という目標値は120点満点の38%です。TOEFLの難易度を考えると、実際に実施すれば大半の生徒が5〜20%程度の低い得点圏に固まるでしょうから、入試判定材料としてはまず使えません。
(pp.6-7)

何に引っかかったのかというと,「TOEFL iBT 45点という目標値は120点満点の38%です」の一文です.ここに38%を出す必然性が,ないように見えるのです.iBTの全出題の38%に正解すれば,45点になるわけではありません(1, 2)から.
この「38%」は,著者ブログにも書かれています.

「高校修了要件をTOEFL iBT45点」といいますが、120点満点の45点は約38%です。
38%で合格というテストは、評価論の常識を超えます。

「大学入試にTOEFLを」の愚 ( その他教育 ) - 希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ) - Yahoo!ブログ

推測ですが,まずは『英語教育、迫り来る破綻』の草稿に,「120点満点の45点は約38%です。38%で合格というテストは、評価論の常識を超えます」を入れ,校閲・点検の中で,各問題に配点がついた(積み上げでスコアを算出する)テストではないのだからと指摘があって,最終的に「TOEFL iBT 45点という目標値は120点満点の38%です」となったのかなと思っています.
『国際的日本人が生まれる教室』の引っかかり箇所は,次のところです.

こうして三ヵ月で設立した「英語超人」ですが、現在「英語超人」一期生は三年生になっています(一期生の人数は一九名です。二期生は現在二年生で二四名。三期生は現在一年生で八〇名です)。
英語超人一期生と二期生は、いずれも一年生の際に課題を与えて選抜テストを行ない、二年生からTOEFLの勉強を始めています。これに対し、三期生は、入学段階から二クラス分を「英語超人」クラスとして振り分け、一年生からTOEFLを意識した学習を始めています。
一期生は、海の物とも山の物とも知れぬTOEFLに挑戦してくれているわけですが、現在のところ六〇点を超える生徒がどんどん出てきて、七〇点を超えている生徒もいます。これらの生徒の中には、高校二年生のときにセンター試験(英語)を模擬受験し、九割程度のスコアを取得した生徒もいますし、別の生徒は、高校三年生の二学期に、一週間だけ準備をしてTOEICを受験したところ、七五〇点近く取得しました。武田薬品工業が新卒の社員にTOEICで七三〇点を要求すると先述しましたが、この生徒の場合、この基準は高校三年生でクリアしたことになります(略)。
(pp.131-132)

こちらも数値情報が多いのですが,ここや前後を見直しても,TOEFL iBTで,何人受検して例えば45点以上が何人というのは読み取れませんでした.45点は重要ではなく,和泉高校または著者が基準点を設けていただいてかまいませんので,その点数をクリアしたのが何人で,それは高校からの受検者の何%なのかを,知ることができなかったのです.
「六〇点を超える生徒がどんどん出てきて、七〇点を超えている生徒もいます」という表現は,テレビなんかで見かける,健康・美容の通販商品の効果を語っているシーンを連想します.「実施した・しなかった」「効果があった・なかった」の2×2の表で度数分布がない状態で,効果を主張するのは統計的には不十分というのは,『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために (生活人新書)』(ここの最後で,表を含め引用しています)で指摘されているところです.
TOEFLの先鞭をつけた和泉高校で,意欲的にトライした生徒のうち何割が基準をクリアしたか,もしくは経年変化が分かるよう(そして生徒が特定されないよう),得点分布をその都度とりまとめ,公表していれば,「英語超人」にもっと期待を寄せたいところですが…まあ難しい話ですね.なお,和泉高校の現校長先生のブログでは,生徒が先月,TOEFL ITPを受験したことを取り上げています.これについてはもう少し,情報収集を図るとします.
英語教育の外側にある,英語を母語としない人々が英語を使うことについては,2冊の見解は同じと映りました.『英語教育、迫り来る破綻』では「「国際語としての英語」と英米の言語戦略」(pp.39-42),『国際的日本人が生まれる教室』からだと「悔しいけれど、世界は「米国式スタンダード」で回っている」(pp.47-49)が該当します.自分なりに表現すると,米英(人)にあって,英語を母語としない国々(人々)にないのは,英語力というよりは,言語・歴史を背景とした,余裕の態度です.なお,2冊の著者はそれぞれの観点そしてアプローチで英語教育に携わっており,ともに,著者らの指導を受けていない人向けに書かれた本である点も,見過ごすわけにはいきません.
とはいうものの,2冊の立ち位置は明らかに異なります.『英語教育、迫り来る破綻』は,教育の,そして英知の継承を念頭に置いて書かれています.『教育』は,刊行時期*2からして和泉高校3年間の,校長としての経験・実績の“置き土産”のようなものです.
もちろん,この2冊で現状が分かった,というわけにもいきません.私と「英語」「高校」との関わりを,探っておくと,まず英語については,論文を英語で書いたり,国際会議で口頭発表したりすることはありますが,学生にそのような指導をする機会はまだありません.高校生が,大学や工学系学部に対して,どのようなイメージを持っているかには,受け入れる立場の一人として,関心があります.しかし直接接するのは,高校訪問をしたり,オープンキャンパスなどでのご来場で,一方的に説明をさせていただく場合に限られ,対話とはなかなかいきません.
自分の強みは,大学教育そして情報教育(プログラミング教育)です.学外からの「使い物にならない卒業生」,学科内での「プログラミングができない学生(が研究室に配属されるのは困る)」といった批判を受け止め,今回の英語教育,そして3年近く情報収集してきた算数・数学教育の知見を生かしながら,教育研究に励むとします.

*1:より正確には,外部からの制約あるいは要件を,問題解決者が都合の良いようにメッセージ化したものが,コンテキストです.

*2:奥付によると「平成25年2月10日 初版第1刷発行」.この時点で,校長退職そして大阪府教育長就任は,既定だったと想像できます.