わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

切った木を,青岸へ

木曜の夜のことでした.(妻の;以下略)母より,声がかかりました.
 「あのねえ,この週末か次の週末のどっちか,手伝ってくれへんかなあ」
  「あ,はい…どっちかと言われたら,この週末の方が」
 「よっしゃわかった.じゃあ軽トラ借りるよう,ご近所さんにお願いしとくね」
妻から話を聞くと,こうでした.7月の台風で,畑のアンズの木が壊滅的な被害を受け,ご近所さんにチェーンソーで切ってもらいました.稲刈りが終わり,余裕のある今の時期に,これを処分しようというのです.
粗大ゴミです.というと「取りに来てもらう」のを連想しますが,今回は我々から「持って行く」ことになりました.

土曜日は朝食を済ませたのち,作業着になりました.しばらく待つと,普段は我が家の車を置くカーポートのところに,軽トラックがバックで入りました.
1メートル程度に切られた細い枝を,降ろしやすいようできるだけ縦に並べながら,荷台に入れていきました.また太い部分については2人がかりで持ち上げて,後方に乗せました.1回で,処分したいすべてを乗せるのは無理ということになり,ある程度乗せたところで,右サイドについていたゴムチューブを,積み荷の上部に当たるように右から左へ通し,チューブの先端の輪っかを左側に引っかけました.
父が運転席,自分が助手席に乗って,出発です.日赤を過ぎ,和歌山港のほうへ…
いえ,南海・和歌山港駅が見える手前で,右に曲がり,橋をわたりました.
料金所のあるところは通らずに,右側の分かれ道を選び,橋を降りていくと,「青岸エネルギーセンター」がありました.
紀の川の北へ行ったのかというと,帰宅して地図を見る限りそうではなく,紀の川の三角州に建てられた,ゴミ処理センターなのでした.
父曰く,時間帯によっては列ができて大変とのことですが,幸いにも渋滞には巻き込まれず,立つ人の指示に従い,最初のチェックポイントに到着しました.事務所を右側に見る位置に止まり,父が住所や処分品の種類を書き,職員の方が横の機械にカードを差し込み(これで重量を記録していました),黄色のボードにそのカードを挟んだものを受け取り,前方の坂を上りました.
建物内では,木材ということで所定の番号に誘導され,父がエンジンを止めると,職員の方がいました.後部を降ろすとともに,引っかけていたゴムチューブを取り外し,車の後ろの「落とすところ」に,木材をどんどん落としていきました.
庭での積み込みに数十分,青岸エネルギーセンターまで行くのにまた数十分,そして投棄は5分足らず.あっという間でした.
建物を出て坂を降り,先ほどの事務所を左側に見る位置に止まりました(最初のチェックポイントには数台の列ができていました).黄色のボードとカードを渡し,再びカードを差し込むことで,その時点の重量が計測され,差し引きによって,何kgの処分品を持ち込んだかが分かるという仕掛けです.
ほっとしながらエネルギーセンターを離れ,橋を渡り終えたところで,父が言いだしました.
 「そういえば…ゴムのチューブ,どないした?」
後方を見ると,荷台に載っていません.サイドにもなさそうです.
どこかで落としてしまったのでしょうか.エネルギーセンター内で,ゴミ扱いにされてしまったのでしょうか.職員の方が,落とし物として,とっておいてくださるでしょうか.
カーポートにバックで入り,ゴムチューブがないことを確認してから,残りの木材を後方に,木材でないものを前方に,積み込みました.量は先ほどよりも少なく,チューブやロープは不要ですが,父は慎重に運転しながら,1回目と同じルートをたどりました.
2回目のエネルギーセンター内は,木材と,木材以外とで,異なる場所に荷下ろしをしました.ゴムチューブは,見当たりませんでした.
 「あんなゴムのやつ,ホームセンターに,売ってないんよなあ」
 「手作りやろなあ…」
と父がつぶやきながら,三角州から和歌山港そばへ南下する橋の途中に,ゴムチューブが落ちていました.後方から車が来ていないのを確認したのち,父が車を止めました.助手席よりドアを開けて,さっと取りに行きました.まぎれもなく,借りてきたこの車に元々あったゴムチューブです.助手席へ持ち込み,ドアを閉めてまた発進しました.
帰宅して,ほうきを手に,荷台の上をきれいにしました.ゴムチューブを,もとあった右脇に引っかけました.父はご近所さんに返しに行くと言ってカーポートを離れていくと,妻の運転する,我々の車がバックで入ってきました.