わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

コミュニケーション阻害語にもうひとつ

 手元にあるのは「二〇一八年九月二十五日 初版第二十九刷発行」です.書店で積まれており,購入しました.ジャケットに書かれた著者プロフィールは「2016年、没。」で終わっています.
 サブタイトルに「人と人の〈つながり〉を考える」とあり,中身は人間関係や生き方論となっています.個人的に興味深く思ったのは,第8章(言葉によって自分を作り変える)の「コミュニケーション阻害語」という言葉です.
 具体的な語を挙げる直前に,「コミュニケーション阻害語」がどのようにまずいのかを解説していました(pp.134-135).

(略)他者とのコミュニケーションの作法をこれから学び取り、状況に応じた相手との距離の感覚やきちんとした向き合い方を身につけていかなければならない十代の若者たちにとって、これから取り上げる言葉群は、異質な他者ときちんと向き合うことから自分を遠ざける、いわば〈逃げのアイテム〉としての機能を持ち、そうした言葉を多用することによって、知らず知らずのうちに他者が帯びる異質性から背を向けてしまうような身体性を作ってしまう危険性があることを、私は指摘したいと思うのです。

 このあと,具体的なコミュニケーション阻害語として,①「ムカツク」と「うざい」,②「ていうか」,③「チョー」「カワイイ」「ヤバイ」,④キャラがかぶる,KY(空気読めない/空気読め),が例示されています.
 ここで自分を振り返ってみます.十代のころにこれらの言葉が使われていたかというと,引っかかるのは「可愛い」のみです*1.いま大学で,1〜2年生と接していて(授業や1年ゼミの範囲内で,学生どうしのやりとりでも)上述の言葉を耳にすることは,ほとんどありません.
 十代の言葉遣いでも,話し言葉でもないのですが,ネット社会においてコミュニケーション阻害語になり得る語が一つ,思い浮かびます.「意味不明」です.少し表記を変えて「意味がわからない」「まったくわかりません」も同様です.
 他者からの情報を受け取ったときに,「意味が分からない」と感じることは,自分にもあります.メッセージの前後や,同じ人が他のときに発信された内容,そして異なる情報源と照合しながら,可能な限りの推測を行い,「これはこういうことなのか」と,納得できる状態になれば,いいのですが,発信者または他の者に対するリアクションとしての「意味不明」は,これもまた〈逃げのアイテム〉となってしまうように,感じるのです.
 少し調べてみると,サブブログで今年,「意味不明」を含むツイートを拾い上げていました.