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修論査読2021

 某年月日,指導している学生2人に,修士論文を提出させました.
 次は「査読」です.事前に割り当てられ,学生にも提示されていた表をもとに,修士論文のファイルをダウンロードして週末に読み,月曜日にWordファイルに取りまとめました.他の研究室の内容とはいえ,某ゼミで幾度も進捗は聞いていますし,査読の割り当ては某ゼミでの「修士論文中間発表」より前に決まっており,予備知識はあったのでした.
 当ブログで,修士論文の「査読」について書いた記事を,新しいものから:

 先日,「修士論文 査読」で検索して気づいたことがあります.多くの情報は,「修士論文の内容を査読付論文として投稿しよう」というものです.「大学院の修士論文に対して査読をしました」という内容は,当ブログの記事だけなのです.
 そこで「修士論文の査読」という概念(または表記)が適切なのか,少し考えてみました.まず「査読」に対応する英語表現はpeer reviewです."peer"は同業者を意味しまして,修士論文の提出者からすると査読者は"peer"じゃないじゃないかというツッコミができます.また以前にも書いていますが,学会の査読プロセスでは妥当な期間をかけ,編集委員(editor)と査読委員(reviewer)が関わって採録・不採録を判断するのに対し,期間や水準*1に関して,大学院の修士論文で同様にするわけにいきません.
 なぜ「査読」という言葉を使用しているのかを,所属の中で合意があるわけではなく個人的な推測を交えて書くと,「他者からの修正意見に誠実に対応する」作業を,修士論文を提出した学生に行ってもらいたいから,と言えます.
 学会における論文投稿時に,提出して一発で採録というのは,なかなか見かけません(私自身も経験したことがありません).「条件付採録」の結果を,査読者のコメントとともに受け取ったら,「採録」に向けて原稿修正するのに加えて,修正意見には1つ1つ丁寧に対応します.別途回答を作り,そのまま修正した場合には「ご指摘のとおり」を含む文を書き,修正ができない場合や,意見が不適当という場合には,その理由を含む比較的長い文章を付けることになります.
 「採録」を「合格」に置き換えて,同様のことを自分の所属の中でも実施し,修士論文の質を高めよう,というわけです.
 研究室のM2学生から,メールの転載が来ました.査読結果です.ざっと読んで,査読のお礼がまだだったらメールを送ってねと指示をしました.指示の仕方について,それはそれ,自分は自分です.査読結果に対する回答の作成に,余計な手間をかけさせるのもよくないので,Wordファイルにして,誤字脱字がないかをよく確認してから,送付したのでした.


 読んだ論文のことを,ここで書くわけにはいきませんが,今回査読したり,研究室の修士論文卒業論文を添削したりして気づいた注意点を1つだけ,挙げておきます.提案手法あるいは構築したシステムの評価を行い,「○%の改善」といった定量的な成果が得られたときに,「○%の改善」を,最後の章だけに書いてあると,読み手は驚きます.「まとめ」のところで,新たな情報を書くべきではないのです.評価の章にも「○%の改善」を書き,何を実施したことでその成果が得られたかが,一目で分かるようにしましょう.

(最終更新:2021-02-07 朝.1件リンクを追加しました)

*1:とはいえ査読付論文にせよ修士論文にせよ,採録や合格として認められる「水準」が何なのかを,文字にするのは容易ではありません.仮に「水準」を明文化できたとして,それが採録・合格に関する必要条件となるのか,十分条件となるのかという疑問が生じます.といったことを考えると,分量や内容,他に(同時期または過去に)提出された論文との比較により,審査されるのが実情です.自分の所属の博士論文・修士論文に関して,「規準」は明文化されていますが,Webで公開されていないので差し控えます.公開されている中で,もっとも関連の高い情報は,https://www.wakayama-u.ac.jp/sys/grad_sys/curriculum/index.htmlのディプロマ・ポリシーとカリキュラム・ポリシーです.