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大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

個人の経験則で反論

 第3章と第4章の間の補論(量的研究と質的研究をどのように使い分けるか)に,「反論」という言葉が2度出現し,文章としては「その反論は不適切」という意味になっていました.

(略)ゆえに,方法論の理解が不十分であると,どれだけ分析メソッドのテクニックに長けていたとしても,データを正しく読み取ることができない。ここでいう「データを正しく読み取ることができない」とは,これらの理論的な立場の違いを理解し,研究上の論理的一貫性を身につけないと,統計的データ分析の結果に対し個人の経験則で反論するというような議論をしてしまうということである。
(pp.64-65)

 本書を読むに際して重要なことは,これら2つの立場を跨いだ議論は基本的にはできないことを理解することである。本書でも頻出する例だが,「子どもの学力は生まれた家庭によって格差がある」という量的データ分析の結果に対し,「私は親が高学歴ではなかったけど学力が高かった」や「友人は,貧困家庭だったが有名大学に進学できた」などの経験則を踏まえて「納得できない!」というのは,客観主義の立場の研究に対して,主観主義的な立場から反論しているのである。これでは建設的な議論はできないのである。
(p.68)

 客観主義・主観主義などについては,p.65の上部の図補-1で整理されています.「客観主義」「実証主義」「決定論」で「法則定立的」な認識において「量的手法が活用できる」のに対し,「主観主義」「解釈主義」「主意主義」「個性記述的」といった認識のもとでは「量的手法は限定される」としています.
 本書から離れ,個人の経験則で反論する事例として,わかりやすいのは「タバコは寿命を縮めるというが,毎日●箱,吸っている俺様はピンピンしてるぜ」でしょうか.
 自分のこれまでの認識に合わない論文や統計データが出てきたときには,特に注意したいところです.