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どうして日本の学校は初等教育のような姿勢で学問を展開してくれないのだろうか

算数授業研究Vol.100

算数授業研究Vol.100

Vol.100です.いつもより分厚く,値段も上がっています.
かけ算を含む「演算の意味」は,pp.36-37, p.61, p.75で見ることができます.とりわけ「「意味」は,定義とは違う算数独特の言葉である」(中村享史:「なぜ」「何を」「どのように」学ぶか, p.75)は,こう書かれてみるとなるほど納得です.「小学校で学習するかけ算の意味はこうだ」と決め打ちし,その意味でないかけ算を持ち出しながら,小学校の算数指導のおかしさを指摘する流れも,発見しやすくなります.
さて,小学算数と中高数学の違いについて,気になる記述を見かけました.まずは引用します(田中博史:『論究』に見る本校算数部の問題意識の変容と成長, pp.34-35).

卒業して数学者になった教え子がある時,小学校にやってきて,「どうして日本の学校初等教育のような姿勢で学問を展開してくれないのだろうか」と真剣に語っていた。
同様の指摘を米国の研究者も指摘する。
「大学教育は米国の方がよいところが多いと自負しているが,初等教育は日本の方がよいと思っていた。では,その中間は果たしてどうかと見渡して驚いた。日本はまるで価値観が変わったかのような学習スタイルが中学,高校で展開されている」と。

以降をかいつまんで言うと,小学校は「問題解決学習」,中学・高校は「教え込み」と捉えています.
このエピソードでもっとも気になるのは,“The Teaching Gap”との対応です*1.和訳された『日本の算数・数学教育に学べ―米国が注目するjugyou kenkyuu*2,ざっと読み直して,再確認しましたが,米国で(また日本でも)影響を与えた,問題解決型の授業スタイルというのは,中学2年*3のクラスのビデオ撮影に基づいているのです.上の引用のうち「日本はまるで価値観が変わったかのような学習スタイルが中学,高校で展開されている」が,『日本の算数・数学教育に学べ』pp.44-45の表で整理された内容と,両立するとは到底,思えません.
矛盾しないような解釈を試みるなら,例えば,こうです.ビデオ研究で日本の50の学級を撮影したとき,その多くは実は「教え込み」だったけれども,それは実施者の関心ではなく,むしろ数は少なくても「仕組まれた問題解決」の授業が特徴的であり,そのことに“The Teaching Gap”で大きくページが割かれ,そしていわば,一人歩きしていったのではないか,と.
誰の主張がおかしい,読み方のどこがまずい,という方向に行くのではなく,小中,中高,高大の,算数・数学を中心とした連携や相違点を意識しながら,さらに情報収集を図るとします.


これで記事を終えると,タイトルの「どうして日本の学校初等教育のような姿勢で学問を展開してくれないのだろうか」について,自分の意見を何も言っていないことになるので,思うところを書いておきます.
書籍名は失念しましたが,「総合的な学習」の話の中で,既存の学習はlearnなのに対し,総合的な学習はresearchであると書かれていました.
上述の「教え込み」は,やはりlearnですが,問題解決学習(「仕組まれた問題解決」も)には,researchの要素がいくらか含まれている*4,と考えるのはどうでしょうか.
そして「数学者になった教え子」さんが中学・高校のときに望んでいたのは,「初等教育のような姿勢で学問を展開」すること,ではなく,researchを通じて,真理を明らかにするという学び方だったのではないでしょうか.
算数・数学という教科から離れると,次の内容が,最も関係しそうです.

科学力のためにできること―科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン

科学力のためにできること―科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン

(略)

以下に,現在の教育状況のベースとなっている仮定を述べてみよう.
◆客観的に証明・分析でき,実験に基づく学習が望ましく,学習の場で最も重要な技能は観察である.知識を得ようとするとき,主観は客観的事実の妨げになるため,感情を挟まない客観的姿勢を守るべきだ.
(略)
◆学校教育の目的は,情報を素早く習得し,決まった内容を網羅し,事実を複製することである.
◆事前の知識はその後の学習の妨げになるにすぎない.
(略)
◆競争と評価がもっとも強力なモチベーションになる.
◆学校教育は必要な通過儀礼であり,学校は人生の準備をする場所である.
(略)
ここから見えてくるのは,受動的でやる気のない学習者と,誰もが生まれながらに備えている学習意欲を抑圧するお仕着せのシステムだ.
(pp.226-228)

以下に掲げる前提が,新たに生まれる学習の物語の基盤を構成している.
(略)
◆学習とは,パターンを形成することで,学習者の学ぶ意味を構築していくという,彼らの内部で自発的に行われるダイナミックなプロセスである.
◆知性は学習することが可能であり,学習の可能性と能力は限りなく拡大する.
◆理解できていると客観的に分かれば,学習したと認められる.
(略)
◆事前の学習は将来の学習のために欠かせない.
(略)
◆学習に対する厳密で意味のある評価は,どの程度理解しているかという量的な証拠を含んでいると同時に,自己修正的で,しかも現実世界で実証できるものでなくてはならない.
◆協調,相互依存,達成は,学習の強力なモチベーションである.
◆学習は一生の仕事であり,学校での経験は人生そのものである.
(略)
(pp.229-230)

科学力のためにできること〜科学教育の現状と改善案

*1:数学者や,米国の研究者は具体的に誰なのか,というのも気になりましたが,ここはあえて書かなかったと判断しました.関連:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20150509/1431119945

*2:清水美憲:「仕組まれた問題解決」の台本に「魂」を入れる, pp.64-65,でも,“The Teaching Gap”と並んでこの本が取り上げられていました.

*3:Web上では,The TIMSS Video Studyでもまた"eighth-grade"を対象としていると書いています.こちらの調査は1999年で,国は米国や日本を含む7か国です.このページの"the TIMSS 1995 Video Study"が,“The Teaching Gap”および『日本の算数・数学教育に学べ』のもとになっているビデオ研究です.なお,http://www.amazon.co.jp/dp/4316389106のカスタマーレビューの中に「小学校4年生と中学校2年生の算数・数学の授業のビデオ録画を比較検討している」と書かれていますが,直後の文では授業数のたし算が間違っていますし,『日本の算数・数学教育に学べ』を読み直しても,見つかるのはp.34の「231学級を標本とし」です.

*4:授業の内容をもとに,子どもたちがめいめい展開し,あとで先生に知らせる---http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22でときどき見かけるのですが,今いい記事を示せません---のは,researchの度合いがより高くなっています.