わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

Googleと,我が研究室

まだ先のことですが,7月実施の1年生向けオープンラボや,例年9月末に行われる研究室配属のことを,ぼんやりと考えています.
そんなときに,はてブニュースからリンクされていた,以下の記事にぶつかりました.

技術や業績だけでなく,福利厚生や面接問題についてもよく知られているGoogle社に関して,辞める人々,社内外の環境が整理されています.
これを読んで,研究室運営を連想するのは,私くらいかもしれません.業務や成果,人材や資材など,まったく比べ物にならないのは承知しています.しかし,卒論や修論を完成させ,単位を揃えて卒業・修了していく以外にも,研究室を去る学生が少なからずいるのが,実情というものです.
本文より一つだけ引用.

「(Googleは)知能指数のきわめて高い若者を雇用することを重視している。そうした若者は確かに非情に頭がよいのだが、“AdWords”や “AdSense”にかかわるおそろしく退屈で冗長な作業にはまったくなじめない。現在の彼らは、何か意味のある仕事をして生きていきたいと強く考えているのに、働きバチ――“勝ち組”のハチではあるが――に甘んじている現状に飽き飽きし、ひどく落胆しているのである」(フェイク・スティーブ・ジョブズ氏)

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会社の雇用に対応する,学科内のイベントは,3年生の研究室です.期間や金銭についての違いがあるとはいえ,どこの研究室だって,有能な学生に来てもらいたいものです.
私は自分一人の自由裁量そして責任のもとで,3年生を受け入れるようになってまだ2回ですが,いずれにおいてもありがたいことに,初回の希望調査で,志願者数が定員を超えています.面接をして,定員分の受け入れを決め,そしてそれ以外の人は受け入れられないことを通知…直接本人にではないのですが…しています.
そうして,学生室で…もう一つの研究室*1の学生もおりますが…談笑していると,研究室環境や先生の指導について,良い感想も悪い評価もあるけれども自分がそこで“生活”することを楽しんでおり,また1年かそこらで研究成果を出すことについても漫然とした不安を表明しながらも前向きに取り組んでいる姿を,見てとることができます.
学生室に入る私の顔を見れば,研究のことか別のことか,何かのリアクションをとる者もいますし,こちらから近づいて尋ねない限り,自分の手の内を見せてくれない者もおります.計算機利用やコミュニケーションの能力も,学生ごとにまちまちです.
そして,そうして見ていると,学生の評価は,知能指数に限らず1個の数値,指標なんかで表現できるものではなく,またそうあってはならないと,強く感じます.
面白いアプリケーションを見せてくれたり,研究打ち合わせで「興味深い」「すばらしい洞察」「おもしろおかしい」*2に値する発言をしたりする人には,今後も,その場で称賛していき,学生の発奮を促すとともに,自分の心にも深く刻み込んでいきたいものです.

*1:wikipedia:のれん分け」と言ってはいけないようですね,同じ屋号ではないので.そうそう,「分裂」でもありません.

*2:この3点は,http://slashdot.jp/のモデレートで選べる名称です.