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メールは顔の見えないコミュニケーションというけれど

メールは顔の見えないコミュニケーションというけれど,顔を合わせたコミュニケーションのほうが,何を考えているのか読み取るための情報量が少ないんだよなあと思いながら,十年以上が経過しました.
顔が見えるコミュニケーション,例えば授業(講義,演習),研究室内の指導,教員や事務の方とのやりとり,そして家に帰れば妻をはじめ家族との会話は,特に問題なくやっています.
見聞きする中でときには,言動と真意の間にギャップを感じることもあります.
メールでも,書かれている内容と,本当に伝えたいこととの間のギャップを読み取ることがあります.
では,そのギャップに気づき,適切に応対できるかどうか,「対面型コミュニケーション」と「文字によるコミュニケーション」で比較すると,自分にとっては後者のほうが,しやすいのです.
メールをはじめ,インターネット上での情報のやりとりのメリットとして,「記録が残る」「あとで見直せる」がよく言われますが,「いったん立ち止まって考えることができる」のも,見逃すわけにはいきません.
顔の見えるコミュニケーションでも,立ち止まって考えることはできます.矛盾したことを言ってるぞと思ったら,問い質すことも,しようと思えばできます.しかしその判断は,瞬時に行わないといけません.そして何か一点に疑問を持ってしまうと,その後の相手の言うことの一つひとつが,頭に入らなくなります.
文字コミュニケーションなら,1件のメッセージに複数のトピックが含まれていても,要領よく切り分けて応対することができます.
さらに,受け取った情報に書かれていない関連情報を探してから,返答する,というのもよく行います.
ここでいう「関連情報」は,技術的な情報に限りません.なぜこの人はこんなメッセージを送ってきたのだろうと思ったら,その人の周辺や,その人と自分との過去のいきさつを確認しておき*1,それを踏まえて返答すればいいのです.

*1:ある部分はメールとして残しておくけれど,感情や,何らかの事情・情報をあえて文字にしない,という意図が見えるケースもあります.どうも真意を測りかねるときは,その送り主に,メール以外の手段でそれを確認することにします.