教えようとしていることがうまく教えられないとき,教え手は《個人攻撃の罠》に陥りがちだ.
個人攻撃の罠とは,教え手が教えようとしていることを学び手が学んでいないときに,それを学び手や教え手の能力や適性,やる気のせいにしてしまって,改善のためのアクションをとらないことだ.児童が宿題をやってこなくて → 「こいつらやる気がなさすぎだ」
同じことを繰り返し説明しても分からない生徒に → 「この子には適性がない」
授業中,ほとんどの生徒が寝ているか私語をしているのを見て → 「私には教師の適性がない」(インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック, p.64)
こうして引用すると,「個人攻撃」がアンチパターンの一つのように思えます.ということでWikipedia:アンチパターンを調べてみると,『数多く挙げられたアンチパターンは、矛盾した言葉を侮蔑的に用いた新しい用語で呼ばれ、可能なら避けられるべき、単なる誤り、未解決の問題、悪習以上の意味を持っている。「落とし穴」や「暗黒のパターン」とも呼ばれる別の呼び方があるが、これは、悪い問題の解決策が再発明されることを指す。こうしたアンチパターンの候補は、公式にアンチパターンとは考えられない。』に該当します.違っていました.そういえば落とし穴というのは,罠の一種ですね.
さてこの《個人攻撃の罠》に戻って,これらの気持ちになることは,理解できますが,私自身はこういう心境になることが,ほとんどありません*1.
誰が悪い,ではなく,教え方がまずい,でもなく,教え方に改善の余地があるのでは,と,考えるようになっています.
また,高い要求をしてはいけないことも,承知しています.例えば講義なら,1回の説明で,部屋にいる全員が正しく覚えて,忘れることはない,なんてことを希望するものではありません.理想でもなく希望ではなく,これは無謀というものです.
「理解してほしいことは手を変え品を変え説明する」「ときには途中段階を省く」「いくつかの事項を組み合わせて問題を解く場合は,それらが分かるように細分化する」「小テストを実施し,正答率を求める」「授業資料はWebで公開し,次学期にも参照できるようにする」などをして,理解度アップに努めています.
《個人攻撃の罠》がダメというならどうすればいいのかは,同書で引き続き説明されています.『鉄則中の鉄則:学び手は常に正しい』(p.65)であり,『「間違うにはそれなりの理由があるはずだ」「改善できる原因はどこにあるだろう?」』(p.66)と考えるべきだと,著者は主張しています.私もこれに賛同します.
pp.66-67では,大学の授業評価とその改善策が書かれています.明示されていませんが,学生による評価に関して,「大学・部局が行う一斉型(どの科目にも同じように答える)の授業評価アンケート」と「授業の中で行うキメの細かいアンケート」をうまく併用することが,大切なのではないかなと思います.
以上のことを書きながら,連想した,過去のエントリ: