わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

識者コメント取り違え?

予算の都合、目的あいまい 池田央・立教大名誉教授(教育測定学)
 全国学力調査に自主参加する場合、現場の先生が丸つけをして「あなたはここが苦手だね」と伝える分にはよい。しかし、その結果を全国調査の結果と単純に比較してしまわないか心配している。採点基準を同一に決めたとしても採点側にはばらつきがあり、特に記述問題では判断が分かれる。
 全数調査から抽出に切り替わる過程では、予算を抑えようという議論しかなかった。そもそも、何のために学力調査をするのか。目的がはっきりしなければ、次回の抽出率や問題数、形式などテストの内容を設計することはできない。現在の学力調査は、調査を名目にしながら、子どもたちに勉強をさせるという副次的な目的を果たしているだけのように思える。
経年変化がわかる調査を 耳塚寛明・お茶の水女子大教授(教育社会学
 子どもの学力水準や散らばりを国が時系列で把握する調査は必要だが、過去3年の学力調査も今回の方法でもそれはできない。毎年、問題の難易度が異なっているからだ。
 重要なのは、結果をその後の政策や指導にどう生かすかだが、教育委員会や学校によってまだ温度差がある。希望利用方式について、国は自治体に判断を任せただけで積極的な位置づけをしておらず、参加した自治体ごとに活用方法にもばらつきが出るだろう。
 今後どうするのか、早く検討に入るべきだ。米国のように専門機関を作り、テストの設計理論に基づいて、経年変化が分かるような調査方法を決めてほしい。

asahi.com(朝日新聞社):全国学力調査 「独自テスト」自治体が力 - 教育

記事は先月26日付で,翌日にはてブしました.
思うことあって読み直したのですが,この2点,コメントした人が逆のように思えてならないのです.
教育測定学の専門家が「予算の都合、目的あいまい」という趣旨のコメントをするのが不可解ですし,池田央氏といえば,先月末から2度取り上げた『見直そう、テストを支える基本の技術と教育』にもその名前が記載されており,「テストの設計理論に基づいて」という発言をするのが自然に思えます.
一方,耳塚寛明氏に関しては,先月中旬の読売新聞のインタビューを見つけることができまして,

「抽出方式への移行は、国の予算節約が優先した結果。何のために行うのか、目的について議論を深めずに見切り発車した今年度の学テは、中途半端に終わる可能性が強い」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100415-OYT8T00310.htm

という記述が,上の「池田氏のコメント」と重なります.
といった状況証拠から,朝日の記事では識者コメントを取り違えのかなと推測しています.訂正記事は見つけていません.また,Googleで2名の名前をAND検索した限りでは,役に立つ情報は出てきませんでした.