わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

4択・解説

4択に対して,さっそくですが所感です.

  1. バツにしなければならない.」を選んだ方:4つの選択肢の中で,最も,選ぶ理由が多様ではないかと感じています.何かの機会でこの論争を再検討することになったとき,また教えてくださいね.
  2. バツにしてよい.」を選んだ方:私と同じ考えですよ! 「×」を基点に書いたことを入口として,どうぞご覧ください.
  3. 「マルにしてよい.」を選んだ方:「しなければならない」ではなく「してよい」を選んだということは,「あるときはバツになってもよい」ことを意味するのですが,どんなときでしょうか?
  4. 「マルにしなければならない.」を選んだ方:じゃあ教育を改革していってはいかがでしょうか.狭量にならないことを,祈念いたします.

思いつく他の回答についても.

  • 「△にしたい.」とお考えの方:この出題で,どんな答え*1が出て,それらはどんな考え方・解き方によるもので,最終的にそのそれぞれの答えにマルをつけるかバツをつけるか△にするか,出題の状況をイメージしながら(学校教育を離れた大人だけの世界・論理ではなく),ご検討いただけませんでしょうか*2
  • 「どっちだっていいじゃないか.」とお考えの方:申し上げにくいのですが,本当に「論争に関心をお持ち」なのでしょうか?

4択をエントリにした経緯について,説明します.そもそもこの4択には元ネタがあります.

  • Q: 結局,賛成ですか反対ですか?

賛成:「5×3=15」と書いた式を,バツにしてよい.
反対:「5×3=15」と書いた式は,マルにしなければならない.
と分けるのなら,賛成です.
そうではなく,
賛成:「5×3=15」と書いた式を,バツにしなければならない.
反対:「5×3=15」と書いた式は,マルにしてよい.
と分けるのなら,賛成・反対の表明を控えさせていただきます.

「×」から学んだこと

これを書いた時点で,「マルにせよ」「非順序派*3」は,後者の賛成・反対という設定で反対を主張していたのではないか,また「マルにしなければならない」と「バツにしなければならない」の対立というのは論理的に不十分ではないか(ある状況ではマル,別の状況ではバツという可能性が抜けている),あたりを考慮していました.
そして先日,コメント上で「非順序派」と自らラベリングする人が現れました.読みながら,論理的に不十分と思っていた次の対立項は,やっぱりあり得るのかなと,意識するようになりました.
順序派:「5×3=15」と書いた式を,バツにしなければならない.
非順序派:「5×3=15」と書いた式は,マルにしなければならない.
上で「狭量」という言葉を用いたことについて,補足します.最近,本やWebの情報で,不用意な問題を出すとかけ算の順序を巡る論争に巻き込まれそうなので,そこを回避しながら,一つの問題に複数の考え方・立式があり,それぞれを比較して,どれが良いのかを児童が学ぶ*4,という指導方法を目にするようになったのです.
《問い》に対して,「5×3=15」を正解とすること---どっちで書いてもいいんだよとする態度---が,算数教育を充実させ,児童の算数に対する考え方を豊かにするのかどうか,見直すべきではないかと思っています*5
関連として,直近に書いた2つのエントリにリンクします.前者は指導計画・実施例の紹介で,後者は,私自身が様々な解き方を知り比較する機会を得た事例です.

*1:「すべて」は無理---こう考えた方がすべて網羅することはできない,というのではなく,解答者の行動には制限がありませんので---「類型」で結構です.

*2:私自身は,「×」から学んだことの『Q: 問題の画像から,あなたは何を読み取りましたか?』という問いを設定し,答えを書いています.合わせて,形成的評価について(全体的にノイズの多いエントリで恐縮ですが)の後半も,ご覧いただけると幸いです.

*3:当時はこんな「派」を思いもしませんでしたが.

*4:そこで得た「最善の考え方」を知ったら,他は忘れていい,という意味ではありません.

*5:主語を書くのを忘れていました.「見直す」の主体は,「どっちで書いてもいいんだよとする態度」をとる人々というよりもむしろ,「どっちで書いてもいいんだよとする態度」に賛意を示す人々がいることを認識している,私を含む,かけ算を巡る論争に関心があるすべての人々を指します.「自戒メソッド」なんて言葉もあるんですね.