「かけ算ではかける順序はどちらでもいい」(『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』p.iii)と主張する際に持ち出す「かけ算の(式の)順序」は,マイナスイオンと同類と考えています.この言葉が,学術的検討の俎上に載っていない*1のは,聞いた見た書いた(「かけ算の順序」に関する学術研究)で調査したとおりです.
学術面には目をつむり,「現場の認識を変えたいんだ」というのであれば,まずは学習指導案(指導案)を通じて,その認識を確認することでしょう.かけ算に限定しても,PDFを見つけるか,本を買うかして,50例ほど読めば,何を既習*2とし,その学習内容が今後どのように活用されるか,また一つの出題に対して典型的な求め方*3にはどんなものが想定されるかを,知ることができます.そして,こういう企画立案をするのとしないのとで,授業の進行,そして児童の理解に,大きな違いが出てくるのだろうなとも思います.
それなりの数の指導案を読んだ上で,「いや指導はそうではない」という信念や,「こんな進め方にすればいいのでは」というアイデアが残っているのなら,見よう見まねで指導案を書き,学校の(算数を専門とするベテランの)先生の批評を仰ぐことも,視野に入れていいのではないでしょうか.指導法・出題例については,出題例から学ぶ,乗法の意味理解が参考になれば幸いです.
さて…
また、「先生自身が、指導法ではなく、本当に正しい順序があると誤解すること」「教えられた子が、正しい順序があると誤解したまま成人すること(そして教員になったり!)」といった事例が、割合がどれだけはともかく、存在するかも、という件もなかなか恐ろしい。
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/09/post_56e9.html
このブログについては,前に対象を,広げる,狭める(5. エビデンスがないのか)で取り上げています.「「憧憬」と「忌避」のあいだで」は,http://book.asahi.com/reviews/column/2011092500006.htmlで読むことができます.
上の引用で気になるのは,「指導法ではなく、本当に正しい順序がある」と認識している,そんな先生がどれだけ(実数にせよ割合にせよ)存在するのかについて,ブログ主さんがその挙証責任を放棄しているように読めることです.
乗法の意味の意識調査について,次の2つの文献があります.全文が無料で読めます.
- 今井敏博: 教員志望学生の算数における乗法の意味の拡張の捉え方について, 和歌山大学教育学部教育実践研究指導センター紀要, No.4, pp.1-8 (1994). http://ci.nii.ac.jp/naid/110004614978
- 齋藤大地, 糸井尚子: 大学生における分数の乗法・除法の指導法に関する調査, 東京学芸大学紀要 総合教育科学系, Vol.62, No.1, pp.157-164 (2011). http://ci.nii.ac.jp/naid/110008452389, http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/108086/1/18804306_62_14.pdf
標題から分かるように,対象は現場教師ではなく,教員志望の大学生です.そして中身はというと,2・3年の,整数を対象とする乗法よりもむしろ,5・6年で学習する,小数や分数を乗数とした乗法の意識調査となっています.
しかしこれらは,「正しい順序」なるものを含めた,かけ算に関する学校教師の意識調査を計画・実施し,レポートとして取りまとめるには,有用な基礎資料であり,先行事例になりそうです.
「教育実践」に関する「疫学」的アプローチを問う前に,「小学校の先生(の一部)が,かけ算の式には『1つ分の数×いくつ分』という,数学的にも算数的にも正しい順序がある…そのように信じている」(『かけ算には順序があるのか』p.47)という言明に,疑いを持つべきではないでしょうか.
エビデンスを求める方には釈迦に説法ですが,調査(出題)の仕方によって,「数学的にも算数的にも正しい順序があると信じている」教師が存在すると示すのは,おそらく可能でしょう.もちろん,そこからただちに「(誰もしていない)調査をしたから画期的」となるわけではなく,課題設定・対象・手法・分析・考察と,様々な観点での批判が待っています.
なお,私自身はそんな意識調査をしたいとも思いませんし,参加を呼びかけるような人脈も文才もありません.指導法・出題例が書かれた本については可能な限り取り寄せていて,一時期,はてなポイントの送信をいただければそれに応じて購入し報告する,なんてのを妄想したことがある程度です.
それと,冒頭の「マイナスイオン」について…この言葉から連想するのは,『もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)』pp.44-49です.別件ですが,「情報・知識の根拠や、元の情報を示さない」(p.215),「できるだけショッキングな話にする」(p.218)も,ブログ記事というよりはそのコメントを目にして,痛感します.
「かけ算ではかける順序はどちらでもいい」は,「マイナスイオンは健康にいい」に対応します.「マイナスイオンの専門家」と同様に,「かけ算の順序の専門家」を探してみましょう…「かけ算の順序の旗振り役」はいますが,みな,「かけ算の順序の研究者」ではなく,かけ算どころか算数・数学教育の論文を著していません.Web上の文書を目にしても,その分野の教育のことをよく見渡しているとは思えず,断片的で,都合のいい話題だけを取り上げています.
「かけ算には正しい順序がある」に反発する人々は,もしかしたら,「かけ算には正しい順序がある」を「マイナスイオンは健康にいい」にリンクさせているのかもしれません.とはいえこれは馬鹿げた話で,「かけ算の式の順序」「かける順序」「正しい順序」といった言葉をどんな人々が使用しているか,調べて*4リストにでもすれば,単語レベルでも容易に確認できます.
10月になってからいくつか書き換えました.
*1:これは,「『6人に4個ずつミカンを配ると,ミカンは何個必要ですか』という問題に対して,6×4=24という式を,マルにすべきかバツにすべきか」と独立に検証できます.
*2:もちろん,児童全員が既習事項を身につけているわけではないので,「〜だったよね」と言うなどして,思い出させることも必要になります.例えば乗法の導入においては,「数の乗法的な構成」,平たく言うと,「にい,しい,ろお,はあ,とお,…」などとして勘定することが,既習事項として挙げられます.
*3:その中には正解も不正解もあります.
*4:算数・数学教育の専門家はどのような表現をとっているかも,押さえておく必要があります.私が目にした範囲のことをいうと,「順序」の言葉が出現することはありますが,「かけ算の式の順序」「かける順序」「正しい順序」などとは異質な使われ方でした.