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片耳あたり3本の両耳分

コメントに,興味深いやりとりがありました.

>「かけ算とは 1 あたりのいくら分をもとめることである」とすれば「3羽のウサギの耳の本数」は「1羽あたり2本の3羽分」であって「1羽あたり3羽の2本分」となると「不自然」…
「1羽あたり3羽の2本分」ではなく「片耳あたり3本の両耳分」であるべきしょう。

こういうのを読むと,図をつくりたくなります.まずはウサギを1羽.

「1羽あたり2本の3羽分」は,こうでしょう.

3羽のウサギの耳の本数を求める式は,2×3=6.答えは6本です.
それで,「片耳あたり3本の両耳分」ですが,まず思い浮かんだのはこちらです.

片耳あたり3本,「本」で数えられる何か---耳に耳をはやすのは不気味なので,産毛にしました---があって,両耳あるので,式は3×2=6,答えは6本です.「本」で数えられるものであり,「3羽のウサギの耳の本数」ではありませんが.
ですが「片耳あたり3本の両耳分」については,次の図をつくることもできます.

ウサギを縦に並べてみました.そうすると片側に耳が3本あって,これが「片耳あたり3本」に対応します.両耳なので3×2=6,答えは6本です.


かけ算の順序論争は,「このように解釈できるから,その式は間違い」と「このように解釈できるから,その式は正しい」の衝突,と見ることもできます.
小学校2年の,かけ算の意味の指導で見られるのは,前者,すなわち「間違い」とするほうです.Webで読める事例は,何と言ってもasahi.com(朝日新聞社):2×8ならタコ2本足 - 花まる先生公開授業 - 教育でしょう.
最近,かけ算の意味を考えよう! | ジュニアつれづれ日記を知り,はてブをしました.「60×4のえんどう豆ってどんな豆?」「だって、そうしたら1このさやに60こ豆があるもん!」「パンパンじゃね!」といったやりとりがコミカルです.
もう少し言葉を増やすと,a×bが期待されている場面でb×aという式が出たとき,正しいと解釈できる筋道もあるけれど,間違いと解釈できてしまう筋道がありますので,誤解を招かないようにするには,b×aではなくa×bを採用しましょう,となります.この展開を,「問題解決学習」*1や「学び合い」に乗せて,授業がなされているように見えます.
ただし,Webや書籍で,授業例を読んでいると,「正しいと解釈できる筋道もあるけれど,」の部分を見かけません.トランプ配りにせよ,積指向(アレイ図で考えること)にせよ,「正しいと解釈できる筋道」を主張する児童がいないから,というのが素直な推測です.先取りしている子どもは,その種の問題で逆に書くと間違いというのを知っているのかもしれませんし,聡明な子どもは,頭の中でa×bとb×aの比較を行い「誤解されないほう」を選んでいる(関連)のかもしれません.
ところで,ウサギの耳は,遠山啓の文章(1972年の「6×4,4×4論争にひそむ意味」)を背景にしていると思われますが,1979年には講演の中で,ウサギの耳で考えるのはよくないと言っています.主要部の引用や時間的な経緯は,「タイル×タイル」というのは,子どもにはなかなかわからないにあります.
そこでシェーマを変更した状況は,次のように想像しています.1970年代は,『数の科学―水道方式の基礎 (1975年) (教育文庫〈7〉)』や「次元を異にする3種の乗法」(『数の現象学 (ちくま学芸文庫)』所収)により,乗法の構造(multiplicative structures),あるいは学校で学ぶかけ算はどのように分類できるのかが確立していった時期です.1972年のころは,そういった複数の構造が(遠山の中で)明確ではなく,後に,それぞれの構造を,子どもの分かりやすさ,学びやすさのもとで比較検討した結果,「総量=内包量×容量」を採用したのではないでしょうか.トランプ配りの背景にあるのは積の考えという点と合わせて,そのように考えると,トランプ配りをかけ算に適用した授業が見当たらないことにも,納得がいきます.

ウサギの絵は,http://matome.naver.jp/odai/2137296723901979801でいくつか絵を見て,PowerPointで自作しました.

*1:「問題解決学習」を採用しないTOSS(向山型算数)では,ある種の問題ではa×bと書くと指導した上で(子どもたちに比較をさせずに),作問の授業で驚きを与えるという授業例があり,ここで紹介しました.