わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

かけ算の順序と囲碁将棋

インターネット上で目にする,ある種の「かけ算の順序」論争は,将棋をやっているようなものです.
ある種の,というのをもう少し具体的に書きましょう.ブログで,あるいはTwitterで,素朴な意見や,発言者さんなりの経験・感覚を,まとまった文章,あるいは一言メッセージとして公開した直後に,とてつもないコメントがつく,そんな光景です.
今年のブログからだと,ドメインパーキングが思い浮かびます.個人的に,この記事を知ったのは7月下旬でのことです.さらにコメントが書けるようにと(2)が出たときに,t.mの名前でいくつかコメントを送り,ブログ記事を書き,「かけ算の順序は教育上の便宜」に寄せてで取りまとめました.
発信された情報は,将棋に例えると相手の不用意な駒の動きであり,それは咎める対象である…いくらかのコメントからは,そんな姿が見てとれます.情報の発信者が,否応なしに将棋指しにさせられているのです.
それに対し,教育現場の「かけ算」の指導は,囲碁になります.
各学級の取り組みは,陣地に対応します.1つの石から始まり,手数を重ねることで,最終的に何子と勘定のできる領域となります.相手の石が,そばに置かれたとき*1は,自分の石が死なないように,また相手がそこで活きとならない*2ように,手番や手数に注意して,石を置いていく必要もあります.
将棋と囲碁との,もう一つ重要な違いは,それぞれの駒・石の平等性です.碁石はどれも,おんなじ(identical)です.盤上のどこに置くか,どのようにつながるかによって,その価値が決まります.
それに対し将棋では,王将から歩兵まであり,そのいくつかには成り駒もあります.盤上のどこにあるかも大事ですが,何より「相手の王将を取ったら勝ち,自分の王将を取られたら負け」というルールを,無視するわけにいきません.
とはいえ,インターネット上で目にする「かけ算の順序」で,順序派にせよ順序否定派(非順序派)にせよ,王将を取ったのに相当するシーンはまだ見ていません.興味深い事例としてhttp://togetter.com/li/593935があります.そこでは「本丸」という言葉を使っています.内容からは,駒組みをしながら,相手の歩を2,3枚,取っているような状況がイメージできます.
さて,インターネット上で,「かけ算の順序」に出てくる情報を囲碁のように考えている人は,いるでしょうか?
…という質問を立てた上で,答えるのも恐縮ですが,私自身,囲碁のアプローチを採っています.

これらの中でリストにした,A-1からA-6まで,B-1からB-6までが,それぞれ石,というよりは陣地を形成する,石のかたまりになります.その根拠となる情報も,また別の碁盤上の戦いと見ることができます.ともあれ記事では,客観性と検証可能性を意識しながら配列し,そのあとでそれぞれの可否を書くとともに,支持するにはどんな付加情報が必要かを示しました.
もう一つ,将棋と囲碁との違いを挙げることにします.将棋で駒が打たれたとき,1手でそれが取られる可能性があります*3.他の駒と接していなくても,飛角桂香の飛び道具によって,離れた駒が取る*4ことも,当たり前なのです.
それに対し,囲碁で,どの自他の石とも接していない(そして端や隅でない)所に打った石を,相手が取ろうとしたら,4子が必要になります.相手がそんな自分の1子を取ろうとするのなら,その間に,自陣を強化したり,他の空いているところに投入したりして,より優位に進めればいいのです.
私は自分のペースで,本業(大学の教育研究:情報通信分野)と家庭を怠ることなく,個々の情報を見て自分なりに取り上げるようにしています.小学校も,他は他,うちはうちで,学習内容の系統性と児童らの自主性に鑑みて授業を実施し,学習指導案や子どもたちのノートとして,記録が残っていくわけです.


「かけ算の順序」関連のリンク:

その他のリンク:


意図しないコメントがついた方へのアドバイスあなたは駒でも石でもありません.将棋指しあるいは碁打ちです.応対するか,手抜きするかは,あなた次第です.

(最終更新:2013-12-14 早朝)

*1:アレイを見せて「これならa×bにもb×aにもなりますよね?」と指摘する状況よりはむしろ,「一つ分の数」ではかける数が0や小数・分数になったら都合が悪い,「1あたりの数」を採用しようといった,指導レベルの攻撃を,本から見ることができます.公平のため記しておくと,「1あたり」を採用すべきでないという趣旨の本も,持っています.

*2:積極的に相手の石を取らなくても,「死」と判定できる状態になれば十分です.

*3:「打ち捨て」なんて言葉もあります.

*4:桂香は別として,いくつかの駒では,取って戻るのが2手で済むのも,囲碁で石を取るより低コストであることを表しています.