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「ニセ科学」から一歩踏み出すと

季刊 理科の探検 (RikaTan) 2015年 04月号

季刊 理科の探検 (RikaTan) 2015年 04月号

東京へ行ったついでに,ヨドバシアキバの有隣堂にて購入しました.
編集長・左巻健男 法政大学教職課程センター教授による「善意の活動に忍び込むニセ科学」(pp.50-55)を,時間をとって読みました.
帰宅してから,「学校に広がるニセ科学問題」(教職研修 2014年 12月号, pp.77-80; 手がける,手を広げる)と読み比べました.本文より前の3項目の箇条書きについて文言が一致していたほか,本文の出だしも,3段落めまでは同一でした.「水からの伝言」「EM菌」への批判の仕方や,「愚民教育」の使用についても,共通点があります.
といっても同一著者ですので,著作権上の問題はありません.掲載誌が異なっているのは大きな特徴であり,他の記事と比較して,記事の位置づけを知ることが出来るという点で,RikaTan 2015春号のほうがおすすめとなっています.
とはいえトップに立つ者のつらさも,感じ取りました.2つに共通して現れる,「そういう科学に対して、ニセ科学疑似科学エセ科学ともいわれる)が世の中にあふれています」がその一つです.もし学生が文章を書いていて,私がそれを添削する立場なら,「あふれています」のところは「散見される」あるいは単に「見られる」としておき,推敲しながら,より良い文末表現を決めるところです.「あふれています」は,科学リテラシー普及のためのいわば売り文句と受け取りました.
他記事を含め,水伝やEM,代替医療,グラフリテラシーなど,勉強になりました.
その一方で,この雑誌で,2014年秋号に特別寄稿として「かけ算の順序強制問題」*1が掲載されたのは,どういうことなんだろうという思いもあります.
今のところ,次の仮説を立てています:教育をより良くしていこうと主張し,自らの専門領域において十分な知見・地盤を獲得したのちに,目立つ教育批判が「かけ算の順序」である,と.
これを「パクついた」と書いたことがあります.目にした2冊の本で,第1刷にミスが見られ,増刷で訂正されている事例を,以下の記事で述べてきました.

「かけ算の順序」について,一つの知見を以下に記すことにします.ただ,本論に進む前に,いくつか書いておかないといけません.
「善意の活動に忍び込むニセ科学」には何度か,TOSSという団体や,向山洋一という人物名*2が出てきます.TOSSは水伝・EM・江戸しぐさなどが入り込みやすいという印象があるとともに,各答案に点数を言ってから寸評する指導スタイルを,異なる本で目にしまして,これは自分に合わないなという認識を持っています.
それはそれとして,「向山型国語」「向山型算数」も,思い浮かびます.国語と算数においては,指導法・指導例の蓄積があり,公開されたコンテンツを,本やWebから読めるわけです.以前,どこかのWebページで,TOSS批判のリストを読んだのですが,国語・算数への批判が見当たらなかったのを,ぼんやりと思い出します*3.いま調べたところ,http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/life/103が見つかりました.
やっと「かけ算の順序」の話です.向山型算数の事例を,以前,記事にしています.

ただし以下では指導例ではなく出題文に着目します.上記記事で最初に引用した文章題,「こしかけを ならべています。1れつに4こずつ 5れつ ならべると,ぜんぶでなんこになりますか。」です.
算数教育においてこれは「アレイ」に対応づけられます.日本限定でないのは,http://www.corestandards.org/assets/CCSSI_Math%20Standards.pdf#page=89のArrays - Unknown Productの文章題に"There are 3 rows of apples with 6 apples in each row. How many apples are there?"とあることからも確認ができます.
これと同型となるアレイの問題は,1971年,遠山啓が行った批判の中にも,「これが,もし,つぎのような問題だったら,どうだろう.「教室の机は1列に6つずつ4列ならんでいます.机はみんなでいくつありますか」という問題では,4×6でも,6×4でもいいとせざるをえないだろう.」という形で現れています.http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlで「足足足足」を検索しても,同様の趣旨が見て取れます.
机の文章題で「4×6でも,6×4でもいい」と言うには,当時(今でも見かけますが)数学教育協議会が推進していた「タイル」を使用します.タイルを2次元に配置します.
このかけ算の意味づけは,School Mathematics Study Groupが提唱し,数学教育の現代化運動を受けて日本にも影響しました.1970年代には衰退しまして,1979年の遠山の講演録にも「いままでの「タイル×タイル」というのは,子どもにはなかなかわからない」*4が入っています.
国内外で,さまざまなかけ算に対する児童らの理解が調査されており,論文や解説書として読むことができます*5.上でリンクした,corestandardsの表の脚注に,"The language in the array examples shows the easiest form of array problems. A harder form is to use the terms rows and columns: The apples in the grocery window are in 3 rows and 6 columns. How many apples are in there? Both forms are valuable." とあり,このうち"harder"から,研究者・現場教師らの活動を想像することもできます.知見は次のように表せます:かけられる数とかける数とを区別しないようなかけ算の場面のほうが,区別されている場面よりも,学習者にとって理解が容易でないのです*6
遠山の提示した問題「教室の机は1列に6つずつ4列ならんでいます.机はみんなでいくつありますか」を,いまの日本の算数のもとで解釈すると,1つ分の数が6つで,いくつ分にあたるのが4だから,式は6×4=24とするのが自然です.「4列あって,どの列にも6つずつ」であっても同じです.「教室の机が図のようにならんでいます」として縦横の間隔が等しい配置図を添えた場合には,6×4でも4×6でもいいけれど,その場合の出題はおそらく「式を2つ書きましょう」となります.
これらは,かけ算指導のほんの一例です.こういった国内外の状況を観察し,良いものを取り入れようとする考え方と,特別寄稿「かけ算の順序強制問題」の内容とが,共存できるようには到底思えません.
とはいえ自分の専門もまた,算数教育ではありませんし,上で書いたのは,私が読んできた情報をつなぎ合わせてできた,一つの筋道です.情報のネットワークづくりに勤しみながら,子らの成長を支え,学内開催の「おもしろ科学まつり」の発展を見守ることにします.

*1:http://www49.atwiki.jp/learnfromx/pages/122.html.この記事も,そのうちリンクします.

*2:2度目の出現(p.55 右)は「TOSSの代表向山洋一」と,呼び捨てとなっていました.

*3:はてブをし損ねました.

*4:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121219/1355868481

*5:例えば,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130104/1357235897

*6:「それらは出題する側の論理だ,学習する子どもたちはどうなんだ」と,言うのであれば,過去にはhttp://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130316/1363388038で取りまとめてきましたが,授業においては「比較検討」が重要となっています.批判している人々が,論文を書いたり,良い論文を紹介したりして,学習する子どもたちの実情を明らかにしてきていませんよね,自分の好みに合った主張を繰り広げていますよね,と応えることもできます.