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青年期のリスク認知

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

リスク 不確実性の中での意思決定 (サイエンス・パレット)

Risk: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)の訳書とのことです.
リスクについての意思決定,定義,分析の事例を見ていく中で,以下の記述にぶつかりました(pp.134-135).

青年期のもろさ
世間では,10代の青年期は独特の,“不死身感覚”をもつということになっている.この考えは,一見,10代の若者のリスクについての愚かな選択をすることをうまく説明するように思える.「奴らは,自分は絶対に大丈夫と思い込んでいる」という具合に.しかし,彼らの心理状態はもっと複雑であることを指し示す実証的証拠がある.第1章で述べたように,若者の思考能力は15歳程度で大人と同じになり,したがってバイアスも同じになる.バイアスの一つとしてあげられるのが,相対的な安全感覚である.これは(すべての年代を通して)自分はリスクをうまくコントロールし,避ける能力が平均以上にある,という感覚である.
しかしながら,大人にも成年にも共通してこの“楽観バイアス”があるならば,両者の意思決定の相違はほかの要因で説明する必要がある.その要因の一つは,不死身感覚という神話とは逆に,多くの10代の若者が,自分が若くして死ぬ確率をかなり過大視していることである.どうせ死ぬのだからとリスキーな行動をとるのであって,何をやっても死なないと考えているわけではないようなのだ.若者が無謀な選択をする2番目の要因は,10代は学んだり経験したりする内容が大人とは異なっているので,リスク認知も違ってくるというものである.3番目の要因は,賢明な選択にはあえて逆らうべきという,その年代特有の強い社会的圧力にさらされていることである.4番目の要因は,10代は理性的に考え責任ある行動をするのに必要な感情のコントロールが不十分というものである.10代はまだ脳が発達段階にあるというだけでなく,日々の生活が気も狂わんばかりの難しい決断――ドラッグ,喫煙,肉体関係,自我同一性など――に満ちあふれている.生理的に極度に興奮した状態で,街角でのケンカに直面したり,性行為の交渉をしたりするというように,感情に支配され,何をどう判断すればよいかわからなくなっているのである.そういった難しい決断に直面する10代の若者は,意思決定能力がどうであれ,間違った決定を下してしまうギリギリのところに立っている.10代のリスクについての決定を理解するには,彼らの認知や能力,そして,彼らを取り囲む状況を十分に把握することが必要であり,素朴な思い込みだけでは理解できない.

自分が10代に戻りたいだとか,あのころの経験や記憶が,よみがえってくるだとかでは,ありません.
上の引用を,授業で顔を合わせる大学生の,内面にあるものと考えると,いくつかの指摘に対してなるほどと思えてくるのです.
「彼らを取り囲む状況」について,本書での想定と,自分がふだん見かける状況とで,違うところもあります.学生は,形態はどうであれ「受験」,そしてそのための高校生活を通過してきましたし,テレビゲームやスマホアプリのほうが,ドラッグや性交渉よりも近い存在であるだろうとも想像します.
教員として,アドバイスできるのは,個々の知識や,認知能力を含めスキルを伝え増大させることだけでなく,安全感覚など状況によっては10代も,大の大人と同じところがあるんだよと伝えながら,うまく「大人の仲間入り」へと持って行くこと,でしょうか.


テレビゲームと「若者が無謀な選択をする」とで,知り合いから聞いた話が,よみがえってきました.
当時,「バーチャコップ」というガンシューティングゲームがありました.ゲーム機につながれた拳銃(バーチャガン)を持ち,画面内の敵に照準を合わせて撃って,ステージを進めていきます.
2人同時にプレイできます.そうなると,一方がやたらうまくて,もう一方は全くスコアを上げられない,なんて展開にもなりがちです.
あるとき,そのうまくできない側のストレスが,たまっていき…
怒りながら,うまくできる方にバーチャガンを向けて,がしがしがしと激しく,引き金を引いたというのです.
なんとも平和な,90年代の話でした.*1

*1:野暮な補足ですが,「若者」でなければどうするのかというと,キレずに,プレイ終了までベストを尽くし,「お見事ですね」などと相手を褒め,以後,そのゲームと距離を置くことだと思います.