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トリアージの法的解釈

『もし,俺の彼女の手当てが遅れて,死んだらどうするんだ.あんたが,責任を取ってくれるのか?』(十津川警部 トリアージ 生死を分けた石見銀山 (講談社ノベルス), p.175)に対する医師の考えを引用していきます.なお,十津川警部は『とにかく,ここでは,医師の指示に,従いなさい』と言っています.

トリアージの判断に絶対的なものはなく,同じ災害であってもその判断にはトリアージを行う人員の素養や災害の状況あるいは時間的な変化によって,種々の異なった結果が導き出される可能性がある.どのトリアージの判断が正しいのか?について明確なものがあるわけではないが,このような場合,「トリアージの判断の妥当性」を判断する一つの根拠として,以下のような考え方がある.つまり,民事と刑事の法的責任(すなわち損害賠償と刑罰)は,あくまでも行為の時点の合理的な判断により結果の発生が回避できたかどうかで決まる.事後的に(すなわち結果論として)どちらの選択がベストであったかが問題にされるのではないのである.当該の状況の下で収集可能な情報に基づいて合理的な行動が行われるのならば,たとえ事後的には別の選択がよりベターであったとされても直ちに法的責任が生じるわけではない.この考え方によれば,トリアージを行うにあたってはその災害に関する正確な認識と医療や配送などその時点の状況を十分に把握したうえで,合理的な判定(その時点では最良と考えられるトリアージ)を行った場合には,結果的にII型*1の傷病者の機能予後・生命予後に重大な問題が生じても,そのトリアージの判断が直ちに問題となる可能性は少ないと考えられる.
トリアージ―その意義と実際(pp.117-118)

救急医学の専門家*2の考え方です.これに反論するだけの意見も,またこの書籍が出て以降,これが覆るような情報も,持ち合わせていませんので,受け止めたいと思います.気になるのは,実際の災害時,たとえば救急車などを待つ時間に,トリアージが理解できない人に,上の話をして納得してもらうのは,ちょっと難しいなあというものです.
この記述の少し上には,『原則的には応召義務・診療義務を負う医師が,緊急の場合において複数の傷病者に対する診療の義務を履行し得ない場合に(行為の時点の合理的な判断により)治療すべき傷病者を選別することは,「緊急避難」とか「義務の衝突」という法理により合法化され,民事・刑事の責任を生じさせないことが一致して認められている』という記述もあります.そういえば,トリアージに関するどこかの議論で,「緊急避難」という言葉を目にしたことがあります.

A. 医師以外のトリアージ
この項で述べる医師以外とは,医療業務を行わない他のすべての人々を指すのではなく,基本的に医療や介護,救急業務などについての十分な知識と経験があり,また,緊急時のトリアージについても十分な知識を併せ持った人々(訓練を受けた救急隊員や看護師など通常の業務で医療に直接関係のある人々)を示す.
(略)このように,トリアージは医療行為の一部でありそのために災害時に行うべきトリアージは医師だけに許されるという考え方は現実的でない.
わが国では,トリアージという概念自体が新しく,これが医療行為の範疇に入るのかあるいはそうでないのかについての明確な定義はない.
またトリアージとは,災害医療を効率よく展開する最初の過程であり,行為ではないと定義する考え方もある.災害医療の効率から考慮すると,トリアージは「医療行為」とするよりも,むしろ治療や搬送の順位付けのための1つの過程であると判断されるべきではないだろうか.
以上のような考え方から判断すると,必ずしも医師以外の者がトリアージを行うことが,直ちに違法性を指摘されるものではないと考えられる.
(前掲書, pp.119-120)

その後,医師以外の具体的なケースとして『(1)救急隊員によるトリアージ』『(2)看護職員・保健師らによるトリアージ*3』が書かれ,『B. 医師によるトリアージ』『C. 複数の人員によるトリアージ』と続きます.
実際のトリアージ事例で,「誰(医師? 救急隊員? 看護師?)」が行ったというを理由にして法的な問題が発生したというのを聞いたことはありませんが,「トリアージを中途半端にかじった素人*4」を含め,誰が,どんなやり方で,トリアージを実施すべき/実施したかというのは,注意を払っていきたいと思います.
これまで引用してきたトリアージ解説書のうち,新書のほうには,トリアージ実施の法的な議論は見つかりませんでした.その代わりに,以下の通り,応急手当に対する免責の説明がありました.

応急手当をした人への配慮…応急手当は,勇気の必要な偉大な行為です
応急手当をしたからといって,傷病者が必ずしも良い結果に終わるとは限りません.このため,その結果を恐れるあまり,電車の中や,繁華街など人がたくさんいる中で,もし人が倒れたとしても,率先して勇気を振り絞って応急手当てのできる人は案外と少ないのです.昔から,もし,人に何かあった時,そのままにして触るな,触ってはだめだという言い伝えが先行し,ただ突っ立って,誰も手を出そうとしないことが多いのです.
そこで,たとえ,悪い結果になったとして責めてはいけません.救助者が仮に法的に訴えられたとしても,法的な責任を問われることはありません.しかし,応急手当てをした救助者の中には,責任を感じて心的外傷後ストレス障害に陥ることがありますので,場合によっては,神経科医などによるカウンセリングが必要なこともあります.災害や事件直後から,救助者への精神的なサポートにも留意してください.
(とっさの時に人を救えるか―災害救急最前線 (中災防新書 (015)), p.153)

*1:引用者注:トリアージ分類の黄タッグではなく,「治療が必要だが,治療されない」という群を指します.この章では,「治療の必要性」と「治療される可能性」により,傷病者をI〜IVの4群に分類して議論しています.

*2:この章の著者は,章末の記名によると杉本勝彦氏で,執筆者一覧を見ると,昭和大学医学部救急医学とのこと.

*3:この場合,『医師の指示(medical control)』(p.121)という条件がつきます.

*4:私もここに分類されます.