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エンジニアリング・デザイン,技術者倫理,コミュニケーション

21世紀の技術者像に関連してよく言及されるファクターに,「エンジニアリング・デザイン」「技術者倫理」「コミュニケーション」の三つがあります.「エンジニアリング・デザイン」とは,総合的な専門知識を活用してものを作る力,プロジェクトを推進していく力,そうしたデザイン能力,設計能力のことです.それに加えて,「技術者倫理」,それから「コミュニケーション」の能力が21世紀の技術者には必要で,工学教育ではこれに力を入れていく必要があるだろうということをJABEEなどは打ち出しています.
(『エンジニアのための工学概論―科学技術社会論からのアプローチ』, p.238)

3つのキーワードのうち,エンジニアリングデザインと技術者倫理はたしかに,学科でJABEE認定を受けるための勉強をしている中で,理解を深めていきました.
エンジニアリングデザインはこれまで何度か日記に取り上げています.ただまだ,学生にどう指導すればいいのかは,固まっていません.それでも今の時点で何かを書いておくなら…課題を与えてデザインさせるという作業ではなく,JABEE認定コースを卒業した学生なら最低限持つべき,そして工学に限らず問題解決に活用してほしいと期待している,「デザイン能力」が何か,そしてその能力を,大学生のときにはとくに意識していなかった教員=私が,どのように指導していけばいいのかに,力を注ぐのがよさそうだ*1と,感じています.
技術者倫理については,1年生向けの数回の授業では不十分となりまして,3年ほど前から,放送大学の授業を受講させています.時間を決めて,学生は講義室に集まってもらいます.教員は持ち回りで,機器設定と後片付けをし,ついでに授業内容を見聞きしているといった程度に,関わっています.
コミュニケーションも,たしかにJABEE後にまた関心を持つようになりましたが,これは別です.というのも,大学院で「コミュニケーション科学」というクラスタに入ることになった際に,強く意識させられたからです.より正確には,コミュニケーション科学クラスタの紹介文を書く作業です*2.計算機同士の通信,計算機と人とのやりとり(インタラクション),環境と人との関わりを引っくるめて「コミュニケーション」とし,情報・環境・デザインの学科の教員と大学院生が問題意識を持って考えていこう,といった趣旨です.

技術者が携わるエンジニアリング・デザインは,決められた目的に最適解を与えるだけの狭い領域に限られてきました.これに対して,技術の目的の設定,制約の設定,各種の要求の設定は,消費者,政治家やマネージャーたちが行うものと考えられてきた.技術者はデザインの要件,基準,目標に関与すべきではない,政治家,経営者,依頼人,顧客がそれらを定め,技術者はそれらを持たす可能な技術的解決を見出す.エンジニアリング・デザインは,こうした分業に基づいていました.
でも,それは間違いではないでしょうか.製品をどうデザインするかは,その結果と綿密に結びついているからです.それだけではありません.デザインを遂行していく中でフィードバックがなされて,もう一度目的やデザインのあるべきあり方を見直す必要がある場合がある.その上で,最適化する必要が出てくる.このようなプロセスでエンジニアが果たす役割は重要であって,そこではいろいろな倫理的な選択が必要になってきます.
(pp.238-239)

“21世紀の技術者像”よりも前の,「分業」に基づくエンジニアリング・デザインを述べ,現代では(2000年になってからは)それが通用しないと断じています.
その見方,考え方を,特に否定したいとは思いません.
ただ,“20世紀までの”技術者やエンジニアリング・デザインがどんなものだったのかについてのイメージが,私自身ちょっと分かっていません.手元にないのですが,『エンジニアリングデザイン―製品設計のための考え方』は,どっちですかね.
デザインに関して,そのうち取り上げる予定の本:

創るセンス 工作の思考 (集英社新書)

創るセンス 工作の思考 (集英社新書)

デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)

デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)

デザインとは離れますが,新しい行動様式として,これまで書いたこと:

原子力施設を安全に保つためには,もちろん事業者の努力だけでなく,監視・検査と言った規制が適切に行われなければならない.しかし今の原子力の現場は,むしろ規制への対応に汲々としてしまい,安全を確保するために本当に必要な対策を十分に講じる余裕がないのではないか,と言うのが北村教授の指摘である.その時に北村教授が使った比喩はこのようなものだ.

例えば皆さんが伝票処理をしている椅子の後ろに,ずっと監視役がついていると思ってください.間違えないかどうかいつも見張っている.そうすれば,計算ミスはなくなるでしょうか.私はそうは思いません.むしろ,後ろの監視役が気になりすぎるために計算ミスを犯す可能性もあるかもしれない.それと同じようなことが原子力の現場にも言えるのです.
(p.128)

監視するし,計算ミスは細かく注意するし,「こうやれ(このほうが効率がいい)」と言い出すし,なので監視役と思っていたいたけど,「疲れたでしょう.じゃあちょっと替わりましょう,私がやります」といって伝票処理を引き受けてくれたら…ってそれはペアプログラミングだなあ.

対話の場をデザイン〜そして工学へ - わさっき

村木:思考方法が逆だと思います。アメリカでは,まず先に「このような能力を測る」というフレームワークを現場のコンセンサスも得ながらきちっと描くのです。測りたいもののコンセンサスが先にあり,その後,ではそれを計るためのテスト項目は誰が作るのかというと別の専門家です。ですから,「議論しているうちに大事なテスト項目が出来ました。やってみました」のような形で,唐突に提示されるわけではないのです。ですから,現場を突然に驚かすような項目は少ないと思いますよ。([3], p.16)

全国学力テストを理解するための3つのおすすめPDF - わさっき

*1:技術者教育ではなく,何か書いたことがあるなあ…あった:PowerPoint教育 - わさっき

*2:私自身が書いただとか取りまとめただとかではなく,どなたかが取りまとめた文案を読んで承認した程度ですが.