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大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

技術のエッセンスは,設計

技術(あるいは工学)のエッセンスは何か?

科学と技術の違い? - 発声練習

リンクされている複数の文章で,答えがシンプルに書かれています.設計(デザイン)です.

外国ではテクノロジーに関する教育は、10〜12年程度が基本で、テクノロジーに限らずその本質である設計についてやその周辺である労働、それからテクノロジーが社会にどういった影響を与えたかという歴史までみっちりと教育している。

科学研究費事業仕分け問題を教育で解決する現時点でのたった一つの最適解 - 技術教師ブログ

『Standards for Technological Literacy』を翻訳した桜井宏氏によると、この本の大部分を占める内容こそ、日本の技術教育に足りない内容という。詳しくは邦訳をお読みいただきたいが、例えば、「技術と科学との違い」「技術の本質はデザイン(設計)にある」「デザインとは相反する複数の要求あるいは制約のバランスをとっていくこと」などが教えられるという。そしてITやエネルギー、医療、バイオといった領域を例にとり、各分野における技術やシステムの構造を説明している。繰り返すが、このような内容を読者の方は習っただろうか。

第59回:「技術とは何か」、学校で習いましたか? | 日経 xTECH(クロステック)

工学の本質は制約の下でのデザインである
(すべてのアメリカ人のための科学(PDF), p.31)

技術のエッセンス,というのではありませんが,技術と設計が対等に並んでいる,以下の記述も,無視できないでしょう.

例えば国語科の学習指導要領には、漢字1字1字の教授学年の明示はあっても、「技術」や「設計」がそれぞれ何であるかについて教えることは示されていません。このため技術や設計とは何かを一度も習わないまま社会に出る日本人が大半ではないでしょうか。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080507/300833/?ST=management&P=3

想像ですが,id:next49 さんがこれらを読み飛ばしているはずはなく,おそらく「設計」「デザイン」という言葉を,そこで言及されているからという理由で使用しても,読者に意図が伝わらない,あるいは,読者それぞれの持つ「設計観」「デザインに対するイメージ」で読まれてしまう,といったことを危惧されたのかなと思っています.
なのですが,「大学教育」と「技術」と「設計」と「社会」を組み合わせているところ,そして文書があります.JABEEであり,「エンジニアリングデザイン」です.

(e)種々の科学,技術および情報を利用して社会の要求を解決するためのデザイン能力
ここでいう「デザイン」とは,「エンジニアリングデザイン(engineering design)」を指す.すなわち,単なる設計図面制作ではなく,「必ずしも解が一つでない課題に対して,種々の学問・技術を利用して,実現可能な解を見つけ出していくこと.」であり,そのために必要な能力が「デザイン能力」である.デザイン能力は技術者教育を特徴づける最も重要なものであり,対象とする課題はハードウエアでもソフトウエア(システムを含む)でもか構わない.
実際のデザインにおいては,構想力/課題設定力/種々の学問,技術の総合応用能力/創造力/公衆の健康・安全,文化,経済,環境,倫理等の観点から問題点を認識する能力,およびこれらの問題点等から生じる制約条件下で解を見出す能力/結果を検証する能力/構想したものを図,文章,式,プログラム等で表現する能力/コミュニケーション能力/チームワーク力/継続的に計画し実施する能力などを総合的に発揮することが要求されるが,このようなデザインのための能力は内容・程度の範囲が広い.このことを踏まえ,この項目(e)では,分野別要件や社会の要求などを考慮し,学部教育として適切な学習・教育目標を具体的に設定することが求められる.
(「認定基準」の解説 2009年度適用, p.5)

読む上での注意点としては,「技術」が2種類の意味で使用されていること,でしょうか.「種々の技術」としての記述では「テクノロジー(technology)」を指し,「技術者教育」だけは「engineering education」と,エンジニアリングを指していると解釈するのが,自然です.
以上のように引用したものの,私自身,このデザイン能力だとか,技術のエッセンスは設計であるとかいった主張を,十分体得するに至っていません.とはいえ,JABEEで認定されたコースを持つ学科に所属していますので,それらを前提として,自分が授業や研究室の中で教える技術を磨くとともに,学生に理解してもらうよう努めています.そのあたりの苦悩として,以下のエントリを書いたことがあります.

同月9日追記:まとめを作りました.

それはそもそも教育可能なものなのか?

科学と技術の違い? - 発声練習

技術教育の最も基礎となる教育は,小学校からなされています.算数の「筋道を立てて考える」です.もちろん,これを技術教育,デザイン教育の一環として教えている学校は皆無でしょうが.
個別の科目としては,算数や数学での学習*1,そして理科や社会*2が重要となるでしょう.国語や英語の教材に,科学技術の光と闇の話を出すもよし.科目を離れ,クラスを良くするとなると,それはマネジメントであり,唯一解が存在しないことの理解と,決めたことの継続性(必要に応じて,目標や活動内容の再設定)というのも,デザインの良い学習例だと考えます.
大学入学までに(学校に限らず)学んでほしいことを挙げてみます.

  • 科学と技術の区別,そしてその一方でこれらが対等に結ばれて語られていることへの理解
  • 科学技術に限らず,モノを見て「面白い」と感じる(という経験を多数持つ)こと.なぜそれが「面白い」のか考えること*3
  • 「自分が行動することで作るもの」と「自分以外の人の手により作られたもの」の違いを知ること

これらを提示するに至った背景は,暇なときに書くことにしますが,後二者は,デザインの概念を,それぞれある観点で言い換えたものです.繰り返しになりますが,大学に入るまでの段階では,「デザイン」という用語や概念を,必ずしも教える必要はないと考えています.
ところで,大学に入る前にもっと技術教育を行うべきだという主張には,どちらかというと反対です.wikipedia:総合的な学習の時間という失敗例*4を想起するからです.技術教育に授業時間や予算をかけるよう,政策が決められたとして,それを各学校の先生方は理解し,他に教えてきたことを減らして,うまく指導できるのかということです.
ポスドクなど,科学技術に習熟した人を小中高に呼び寄せたとして,実験・実演に喜んでくれそうな子供たち(と先生方)は多いかもしれませんが,「素養」をどこでどうやって教えるのでしょうか? 教えたことは,テストして確認するのでしょうか? そして,それまでの先生方,あるいは学校組織は,技術教育指導の先生を,うまく受け入れられるでしょうか? ALT(英語指導助手)の科学技術版となるのでしょうか? そういう政策(や予算)がある年度からなくなったとき,教育の現場はどうなるのでしょうか? 任せっきりだった技術指導がなくなり,「前の状態」に戻るだけ,でしょうか.
学校に過度の期待を持つべきではないと,考えています.大学教員は,入学した学生の学力能力(ability)をもとに,昨今の教育はなどと論じるよりは,目の前にいる学生の成功体験・失敗体験に耳を傾け,自らの成功体験・失敗体験をさらけながら,学生に自信を与えることに時間をかけるべきでしょう.大学に限らず,コレは他の科目で教わってほしいと思っても,科目や先生をなじるのではなく,自分の責任の(知っておいてほしいと願う)範囲内で,自分の言葉で伝えることから始めるというのは,できないものでしょうか.
(同月9日にいくつか書き換えました.)

*1:いわゆる理系の大学入試に限定されるかもしれませんが,出題文を読んで,解けそうな方法をいくつか考え,最も見通しの良さそうな方針を一つ決めて解答を書いていくという訓練を通じ,入試の関門を突破して大学に受かったという達成経験は,大学でも生かしてほしいと考えています.

*2:歴史には時代時代で答えられないといけない技術を覚えさせられますね.もちろん,地理や公民からも,技術や,諸概念のトレードオフは学べるでしょう.高校2年だったか,地理と化学の科目で同じ週に,アルミニウムの話が出てきたことを思い出します.

*3:頭の中で考えるだけでなく,親や先生,友達などに話したり,ノートに書いたりすればなおよしですね.

*4:個人的にこれは,理念としては良いのですが,実施に当たっては学校現場のことを考えていなかった失策と捉えています.