わさっきhb

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かけ算をどのように意味づけるか

本日は,「6×4,4×6論争にひそむ意味」のうち,

  • かけ算はたし算のくりかえしか
  • 加法・減法と乗法・除法はべつの演算と教えよ

について,関心のある部分を引用し,検討します.

では,本題にはいって,いったい6×4は正しいか,まちがっているかについて考えてみよう.この問題の答えとして,4×6だけが正解であり,ほかを誤りとする理由はどこにもない.もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので,多種多様な解き方があってよいのである.
ミカンを配るのに,トランプを配るときのやり方で配ると,1回分が6こ,これを4回くばるのだから,それを思い浮かべる子どもは,むしろ,
6×4=24
という方式をたてるほうが合理的だといえる.
これが,もし,つぎのような問題だったら,どうだろう.「教室の机は1列に6つずつ4列ならんでいます.机はみんなでいくつありますか」という問題では,4×6でも,6×4でもいいとせざるをえないだろう.
要するに,理屈がちゃんとたって,子どもがそれを理解してさえいたら,どんなやり方であってもいいのだ.交換法則はまだ教えていないから,それを使ったのはバツだというのは,教える側の得手勝手に過ぎない.交換法則など子どもが自分で発見することはいくらでもあるのだ.
(p.116)

2冊の後半について,前後の引用を増やしました.なお,トランプ配りは,同書のpp.146-147に説明と図があります.
マルかバツかについて言うと,「マルにしなければならない」と「これはバツだ」の“間(あいだ)”の状態というのが想像できます.言い換えると,マルやバツとして“確定する前”の状態です.「これで本当にいいのか(マルになるのだろうか?)」「こっちのほうがこっちよりも良さそう」と,答案提出前に子どもらが考え,final answerを出せるようにしたいものです.もし小学校でそういった指導をする余裕がなければ,そこは親御さんや,大人が関われそうなところです.
それと,机の数をかけ算で求める問題に「交換法則」を持ち出しているのも,気になります.「/」を含む単位を用いて式を立てると,「6個/列×4列」と「4個/行×6行」となり,それぞれ逆にした「4列×6個/列」と「6行×4個/行」は小学校の学習において不自然に見えます.トランプ配りは,何のいくつ分の範囲内にある立式手段であり,交換法則を直接的な根拠としません*1

また,4×6は,
4×6=4+4+4+4+4+4
という意味だとすることにも私は反対である.
これは,つまり,“かけ算はたし算のくりかえしだ”という定義なのだが,これは適当ではない.この定義で教えると,4×1とか4×0とかいうかけ算がでてくると,どまどってしまう.
4×1は,たし算など使わないで,4という答えがでてくるので,かけ算をやるときはかならずたし算をやるものと教えられた子どもは,「4×1は4を1回たすことだから,4+4=8」などとやってしまう.また,4×0になると,さらに困る.もっと困るのは,5,6年生になって,
4\times\frac{2}{3},4×0.3
などのような×分数,×小数がでてくるときである.\times\frac{2}{3}も×0.3もたし算ではないし,そのうえ,かけると,ふえるはずだと思っていたのが,かけて,減ることになって,子どもは頭をかかえてしまう.2年生のとき,かけ算をたし算の繰り返しだと教え込まれた子どもは,5,6年生になって完全にいきづまってしまうのである.
いまのおとなたちのなかにも,「小学校にはいったときは算数が大好きだったが,×分数,×小数がでてきてからわからなくなり,それから算数が大きらいになった.じつをいうと,分数や小数をかけると,答えが減るのはなぜか,おとなになったいまでもわからない」という人が多い.
こういうことをいうおとなは“頭が悪い”のであろうか.そんなことはない.小学校での教え方が悪かったのである.
(pp.116-117)

ある対象に対して,どのように定義し,そこから,どんな性質を得ることができるかの議論であると読み取りました.乗算を,(現在の)学習指導要領ではどう取り扱っているかについて,比較しないといけませんね*2
「かけて,減る」については,分数や小数のかけ算を学んだ上で,次の法則を理解すれば,小学校では検算に,また大人になってからも数量の見積もりや比較に,使えるはずです.

  • 1より大きな数をかけると,増える(b>1ならば,ab>a)*3
  • 1より小さな数をかけると,減る(b<1ならば,ab
  • 1をかけると,変わらない(b=1ならば,ab=a)

大人も苦手とするのは,「×分数,×小数」より前の段階,すなわち分数や小数の概念そのものの理解にあると想像します.
さて文章はその後,日本語,中国語,ヨーロッパ語の“かける”や数の名称について比較がありますが,割愛します.「加法・減法と乗法・除法はべつの演算と教えよ」に進みます.

日本式のかけ算の意味をどのように教えるかというと,かけ算をたし算から切り離して教えることが前提となる.具体的にはどうすればいいのか.
そのために,たとえば,ウサギが何匹かならんでいる絵をかいて,まず,ウサギ1匹に耳が何本あるかを考えさせる.そうすると,“1匹分が2本”であることがすぐわかるだろう.そして,たとえば,「3匹分の耳は何本か」と問い,それを
2×3
の意味だとするのである.つまり,かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算と定義するのである.
この定義のなかには,“たし算”は一つもはいっていないことに注意してほしい.だから,「2×3の答えはいくつか」という問いをだすと,
2+2+2=6
として計算する子どももいるし,
3+3=6
と計算する子どももいる.どうしてそうしたかを問いかえすと,「ぼくは右の耳はいくつかと考えたら3で,左の耳も3でした.だから,みんなで,3+3=6としたのです」と答える.また,「ぼくはウサギを3匹書いて,その耳を1,2,3,……と数えて6になりました」という子どももいる.
そういう子どもは,すべて2×3の意味を正しくとらえているものと考えてよい.ただ計算の手段がちがっただけだと考えるのである.このようないき方だと,
2×1
も,少しもむずかしくはない.1匹あたり2本の耳は,1匹分では,やはり,2本だから,
2×1=2
となるし,また,2×0はウサギが0匹,つまり,1匹もいないのだから,耳だって1本もないはずである.だから,
2×0=0
となる.これは,子どもにとってなんの困難もない.要するに,計算手段から切りはなしてかけ算を意味づけておいたほうがずっと一般化しやすいし,発展性があるのである.
このことは×分数,×小数になると,いっそうはっきりする.
(p.118)

「かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算と定義する」のには異論がないし,現在の算数教育もまあそうなっている*4のですが,直前の「“1匹分が2本”である…「3匹分の耳は何本か」と問い,それを2×3の意味だとする」については要注意です.前の引用の検討と合わせると,どうも「意味」を,「定義」の同義語として用いている感があります.
さらに,この定義や意味づけに従うなら,「3×2」は「2×3」と異なる意味をもつ式となり,この論争の問いに対しては,「6×4と4×6はやっぱり違う式なのか(6×4はバツに,4×6はマルになってしまうのか)」という疑問が再浮上します.

たとえば,「1メートルあたり200円の布地は\frac{2}{3}メートル分ではいくらか」という問題は,“1あたり”から“いくら分”を算出する問題だから,
200×\frac{2}{3}
というかけ算になることがかんたんにわかる.(略)
(pp.118-119)

乗算の定義やそこから得られるメリットの説明になってしまい,「4×6か,6×4か」がどこかに行ってしまっています.
逆順の問題文を作ってみるなら,「太郎くんは\frac{2}{3}メートルの布地を買いに,お店へ行きました.お店の人は,1メートルあたり200円と言います.いくらになりますか」ですが,考えてみるとこれ,端数が出るなあ….
その後1ページほどは省略し,まとめに入ります.

ところで,量には,大別すると,二種類ある.まず体積・長さ・重さなどのように,ものをあわせると,たし算になるような量がある.それは,とうぜん,+と−に関係してくる.これは“大きさ”や“広がり”を表わすもので,外延量とよばれる.
これに対して,速度・密度・濃度などのように,なんらかの性質の“強さ”を表わす量がある.これはいわば“質的量”とでもいうべきもので,内包量といわれている.このほうは,
密度=質量÷体積
質量=密度×体積
体積=質量÷密度
という公式からもわかるように,乗法・除法の計算とかかわりあっている.
つまり,量という観点からながめると,加法・減法と乗法・除法は明らかに異質の演算であると見なければならなくなる.
以上のように考えてくると,“4×6か,6×4か”の論争も,意外に深い問題につながっていることがわかる.
(p.120)

まずはかけ算の順序をめぐる論争として検討するなら,「質量=密度×体積」とあるが「質量=体積×密度」ではいけないのか,という疑問が浮かびます.また,内包量のうち,速度については,相対速度のように足し算をすることができるものもあります.時速30kmの車と40kmの車がぶつかったといっても,おカマを掘ったのと正面衝突とでは,衝撃がぜんぜん違うわけです.
加えて,やはり加法・減法と乗法・除法が異質の演算であるという立場をとるにしても,それらの組み合わせは,小学校の算数の中でも,日常生活においても目にすることを,指摘しておかないといけません.一つは分配法則ですし,それと別に,「にいちがに,ににんがし,にさんがろく,…」と,乗数が一つ増えるごとに,積が被乗数の分だけ増えるという性質,すなわちa(b+1)=ab+bという関係式は,九九を覚える際,間違えにくくするのに役立ちます.遠山氏は,九九をどのように指導されたのでしょうか.
(翌朝いくつか修正しました.)

*1:トランプ配りを根拠として,分離量における交換法則を導くというのは,「単位をなくせば」可能です.アレイ図の丸ひとつひとつを「1個」ではなく「1」とする見方です.そういった検討からでは,文章題において,トランプ配りや交換法則を根拠としてかけ算の立式をすると「伝わらない」のです.

*2:言い訳:時間が足りませんでした.そのうち本エントリに追加するか,別の日に取り上げます.分かっていることを手短に書いておくと,×0の計算については第3学年で,分数や小数の乗算については第4学年と第5学年に分けて取り上げられており,引用で書かれている疑念については解消されています.

*3:a>0とします.小さい方も同様です.

*4:「いくつ分」の指すものが異なっていますが.