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戦前の乗法(3冊目)

  • 木村教雄: 小学算術教材ノ基礎的研究, 培風館 (1936).

カラメルで購入しました.
Google Booksの情報と発行年が違っていますが,本の奥付には「昭和十一年二月八日 印刷」「昭和十一年二月十五日 発行」そして5行の改版のあと「昭和十三年四月二十日 七版発行」とあります.この「版」は今でいう「刷」に相当し,刊行年は初版の昭和11年(1936年)としておいて,いいでしょう.
内容としては,黒表紙教科書をもとに,その基礎・原理や,指導の注意点を記しています.
読んでいったのは,かけ算です.「乗法の意義」は次のとおり(p.18).

乗法の意義 aに等しい数をb個加えることをaにbを掛ける或は乗ずると云い,斯様な演算を掛算或は乗法と云う.此のことをa×bの記号で表して,此の場合にaを被乗数,bを乗数,而して掛けて得た数cを是等a,bの積と云う.積に対してa,bを何れも因数と云うことがある.
(式:省略)
従って乗法は加数が皆相等しい累加の簡便算として生れた算法である.
注意.乗法の意義に依れば,a×1,a×0は何れも意義を有ない.之に就てはa×1=a,a×0=0なりと定義するのである.尚,定義するということは規約することであるが,(略)

高木『新式算術講義』にも,かけ算のところで「定義」「意義」の文字がありましたし,話の展開も似たところがあります.なお本日は,関連文献は記事末尾に書くようにします.
木村の書ではそのあと,「乗法の学習」となります.九九です.p.19に表があります.

行が乗数,列が被乗数です.「呼方」の矢印から,乗数先唱なのがわかります*1
表の右上が囲われていますが,この部分の九九だけを使うのは「半九九」です.本文そして当時*2の黒表紙教科書は「総九九」を指導しており,その長所の最初の項目は,次のようになっています.

総九々の長所
(1) 自然的なること 4×3=4+4+4 であり,3×4=3+3+3+3 であるから異なった事柄である.之を異なった言い方をするのは極めて当然である.4×3=3×4 とする交換の法則を予想することは幼弱の児童には穏当でない.
(p.19)

これはVergnaudが書いたのと重なります.そして,4×3と3×4は違う(積は同じ)という考えが,戦前からあった*3とする証拠になっています.
総九九の欠点も,書かれています(p.20).該当箇所の写真のあと,(3)を文字にしておきます.

(3) 社会的困難 総九々を俄かに導入するときは,これまで順九々のみを用いて来た旧来の社会一般の者に非常な困難を来さしめるから,大した必要を感ぜざるに改良するには及ばない.

欠点というよりは,総九九を採用しなくてもいいという,消極的な理由のような.
ともあれ次のページでは,利害両面を考慮した上で,算術教授においては総九九を指導しましょうと結論づけています.
「古いものに,読む価値がある」というよりは,「これまで読んできたものと組み合わせて,いくつかの言葉・概念・考え方を結びつけることができる」という点で,入手できてよかった1冊でした.

関連文献

加法は組み合はせの法則に従ふものなるが故に,同一の数aを幾回も加へ合はせて得らるべき和は此数と加へ合すべき回数bとによりて全く定まるべし.斯くの如き和を求むるはa及びbなる二つの数を与えて之より或る定まれる第三の数を得べき手続きなるが故に,之をa,bなる二数に施こせる一つの算法と見做すことを得.此算法は即ち乗法にしてaは被乗数,bは乗数,求め得たる和はaのb倍或はa,bを乗したる積(a×b又はab)なり.a,bは何れも此積の因数にしてabといふ積の第一の因数は被乗数,第二のは乗数なり.加へ合はすといふ語は少なくとも二個の数を予想するが故に,aに1を乗ずるとは没意義の事なり.我輩は茲に改めて,a×1とはaの事なるべしと定む.之をしも前に述べたる乗法の定義の中に包括せられたりとせんは牽強なり.乗数が1になる場合と然らざる場合とに於ける乗法の意義は次の式により明に書き表はさる.
a×1=a
a×b=a+a+a+…+a
(『新式算術講義 (ちくま学芸文庫)』p.26; 数学者による「かけ算の順序」

Another procedure for solving multiplication problem consists of adding a+a+a... (b times), but it is not a multiplicative procedure. It only shows that the scalar procedure relies upon iteration of addition. One does not find, in young children, the symmetric procedure b+b+b+... (a times) because it is not meaningful.
(乗法の問題を解く別の手続きは,a+a+a... によりaのb倍を求めることであるが,それはかけ算の構造ではない.スカラーの計算手続きが累加に基づくことを示しているにすぎない.低年齢の小児は,b+b+b+...によるbのa倍という対称的な式*4に気づかない.)
Vergnaud (1983) p.130; Vergnaudと銀林氏の「かけ算の意味」

a. 各段の九九を被乗数を一定にして纏めることにすると,この一定な数を冒頭に呼ぶ方が都合がよい。筆算の掛算では,乗数先唱を本体とするが,これは後に指導することで,九九構成の最初においては,被乗数先唱で九九を覚えさせることが,児童心理に叶っている。
b. 国語は,「5円の色紙を8枚」「3を4倍する」というように,被乗数を先にする言い方である.
c. 式に表す場合も 5円×8 というように,被乗数を先に書くのを常とするから,被乗数先唱の方が都合がよい。
(『「小学算術」の研究』pp.246-247; 筆算の順序

しかし,せっかく総九九が採用されて,前の数が小さい「正九九」だけでなく,前の数の方が大きい「逆九九」の口訣も許されたため,書かれている順ではなく逆に読め,というのでは,教わる子どもでなくても戸惑います(かけ算の交換法則を教わりながら,式は「1あたり量×いくつ分」の順序で書け,と言われて戸惑ういまの子どもたちが思い浮かびます).
当然,反対意見が多かったのでしょう.教師用算術書にはこう教えろと書かれていても,必ずしもそのようには教えられなかったようです.教科書が次に改訂されて,1936(昭和11)年から使用されることになった第4期の「緑表紙」の国定教科書の第2学年教師用(この期から2年生も児童用の教科書ができたのですが,教師用の指導書の方です)には,「被乗数先唱」,つまり式に書かれている順序通りに読むことにするとはっきりと書かれます(執筆者は,「緑表紙」の編集責任者の塩野直道です).
こうして,昭和11年から私たちが知っている西洋型総九九が完成し,現在に至ります.
(『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』p.89)

(最終更新:2013-01-26 朝)

*1:しかし,p.23では,大正十四年度修正趣意書への参照をつけ,「我国小学国定算術書は被乗数先唱を採用して居る」としています.緑表紙教科書との混乱があったのかなと推測します.木村が教科書の編纂に携わらなかったにしても,情報を得る機会はあったはずです.

*2:p.21に「総九九採用の歴史」が書かれており,「大正14年第三次修正の小学国定算術書より総九九を採用するに到った」とのこと.

*3:それと,「順序」という言葉は,式の話ではなく,九九学習の話(どの段から学習すればいいか)で出てきます.

*4:私訳は,今回引用するにあたって見直しました."the symmetric procedure b+b+b+... (a times)"については,手続き(procedure)というよりは,a+a+a... (b times)=b×aとb+b+b+... (a times)=a×bとが等しいこと,すなわち乗法の交換法則に関する知覚・理解のことと認識するほうがよいように思っています.