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乗法構造

後ろでこの文献を「布川(2013)」と表記します.ちなみに当ブログで何度も取り上げている布川2010の著者でもあります.
それで今回の文献ですが,出だしにびっくりしました.

1. はじめに
乗法構造は重要な学習内容であるにも関わらず、学習者の理解が十分ではないという状況は近年においてもあまり改善されてきていないように見受けられる(略)
(p.1)

びっくり,というのは,疑問文にできます:「乗法構造って,何?」.
読み進めていくと,「乗法構造」あるいは「構造」が何を指すのか,少し見えてきます.

子どもたちの比などの問題解決を促す手立てとして、乗法構造に関わるスキーマを指導することが試みられてきている。(略)これらは、乗法構造に関わる問題に現れる数を適切に配置するための図式を提供し、それにより問題の解決を促す試みと言えよう。
(p.1)

4.比に関する説明と式
前節で考察してきた説明場面にはつぎのような共通した特徴が見られた:比に関わる考え方を説明しようとした際に、その中に含まれる数量関係を表現するために式が十分に利用できず、結果として数量関係の表現が曖昧なものとなり、説明がわかりにくくなってしまった。児童たちの説明を見ると、彼らは適切なアイデアを持っており、問題を解くこともできている。さらに、第2時の児童K1の考え方や第5時の児童S2の説明では、中学校の比例式の学習内容に相当する考え方も現れており、むしろ豊かなアイデアを含むものも見られる。しかし、その説明は曖昧であったり、あるいはアイデアが十分に整理されずに提示されたりしていた。そして、それらの曖昧さや未整理の状態は、数をその構造を示す数式で表すことや、ある式が別の式と同値であることを利用するならば、解消可能であった。実際、いくつかの場面では、児童の説明の後に教師が説明をまとめ直す際、こうした数式を補ったり、「?」「x」を補い式の間の関係が見えやすくする修正を行ったりしていた。
(pp.9-10.強調は引用者)

ただし、こうした表現が移行につながるためには、数式に関わり少なくとも2つのことが必要となる。第一は、数式に対する構造的捉え方(Sfard, 1991)である。(略)
(p.10)

このうち「数をその構造を示す数式で表すこと」「ある式が別の式と同値であること」については,授業の観察をもとにした分析で記されています.

ここでのS2の説明は、水がめんつゆの2.5倍になっていることはわかっていながら、そのことと問題のめんつゆの量を求めることを関連づけることに困難を示している。その中で、友だちから?に2.5をかけると言ってもらうことで、?×2.5=120となることは確認できたものの、?の値を求める方法については述べておらず、説明としては曖昧なものに終わっている。つまり、数量間の関係を式で表現すること、およびそこから式変形に相当する考え方をして新たな情報を導く方法を明確化することに難しさがあると考えられる。
(p.6)

この引用の直前を見ると,児童S2は「?×2.5=120」という式を使って説明したのではないことが分かります.「式変形」とは,?×2.5=120⇔120÷2.5=? です…いえ,引用の直後の段落に「?=120÷2.5」とあります.120÷2.5=48として?を求めるのは,著者は「確かめ算」という見方をしています.
どんな授業だったのか,自分なりに要約しておくことにします.6年生の「比」について,6回にわたる授業です.式としてはかけ算・わり算のほか,「:」を使った式も出てきます*1.計算では,外項の積と内項の積が等しいこと(a:b=c:d⇒ad=bc)や,同じ数をかけてもわっても比の値は変わらないこと(a:b=ac:bc)を用いています.


と,見てきましたが,この文献では「乗法構造って,何?」という疑問に対する答えが記されていませんでした.
これは,文章が「乗法構造」から始まるところから,予想はできていまして,出だしを会話体にするなら,「乗法構造って大事だよね〜,でも子どもたち,分かってないんだよな〜」となります.乗法構造は,小学校でかけ算の指導をするなら知っておくべき概念である,というのがこの文献の前提なわけです.
とはいえ,「乗法構造」という言葉が普及しているのか,算数教育に携わる人々の間で共通認識があるのかというと,そうとは思えません.Googleで検索しても,あまりヒットしません.学習指導要領やその解説,また用語集でも,見つけることができませんでした.
しかし,「乗法構造」を英訳して,multiplicative structuresと書いたら,思い浮かぶ文献があります.Vergnaud (1983)Vergnaud (1988)です.
それらに共通して見られる,2つの量空間による値の(乗法的)関係は,次のステップのところで取り上げています.同じ量空間どうしの乗法的関係と,2つの量空間をまたいだ乗法的関係が重要となります.布川(2013)を見直したところ,図1や図3は前者,図2や図9は後者となります.
ちなみにかけ算・わり算を対象とした「構造」の議論は,『数の科学―水道方式の基礎 (1975年) (教育文庫〈7〉)』にも見られます.第4章のタイトルは「乗除法の意味と構造」です.しかしこの本での(乗法・除法の)「構造」というのは,計算の仕方を重視しており,読むと「素過程」だとか「水道方式」といった言葉も出てきます.
ですが無縁というわけではなく,その章の「意味」(§1 乗法の意味,§4 除法の意味)のところについて,小学校で学習するかけ算の式はどんなタイプがあって,それぞれどんな原理である(各タイプがどのように違う)かを整理したのがVergnaud (1983)となっています.Vergnaudが銀林の著書を参考にした可能性は極めて低く,1970年代あたり以降,国内外の検討において,「乗法の構造を探求していくとそこに行き着くのかな」(ツイートTogetterまとめ)という認識を持っています.


参照した関連文献,古いものばかり? 新しいものも…
小学校学習指導要領解説 算数編には「ものの集まりを幾つかずつまとめて数える活動を通して,数の乗法的な構成についての理解を図ることをねらいとしている。」(p.81)という文があります.ここでいう「数の乗法的な構成」とは,十進位取り記数法と別の,数の構成です.12=2×6が乗法的な構成なのに対し,12=10+2と表すのは,十進位取り記数法に基づいています.
小学校学習指導要領解説 算数編は日英対訳*2が出ています.「ものの集まりを…」に対応する文は,p.125で,"One of the objectives is to help students understand the multiplicative structure of numbers through activities such as making equal groups when counting objects."と書かれています.ここに"multiplicative structure"が出現しています.日本の算数でも,「乗法構造」を2年のうちから意識しているのだよと,読むことができます.

*1:「かけ算の順序」に関して,児童は「1:12=2:x」「12×2=24」,それに対し教師は「1:2=12:x」「x=2×12」と式にしている話(p.4)が興味深いです.

*2:小学校学習指導要領英訳版(仮訳)は「解説」のつかないほうで,別物です.Four or Five: 学習指導要領 解説書 (小学校算数編)でリンクされているhttp://www.apecknowledgebank.org/file.aspx?id=1868は英文のみで,英訳に関わった人は,日英対訳と共通しています.