わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

ツイートがにぎわってますね

(1)

はじめは2人による,ほのぼのとしたやりとり.と,そこに乱入:

こういう発言が出てくるのを,ツイッターの醍醐味っていうんでしょうか.
さて,思い浮かんだことを書いておくと,「順序のない指導」については,SMSGがアレイによる見方などとともに提唱し,New Math/現代化のもと,60〜70年代に検討がなされましたが,結果として「順序のない指導」は衰退しています.「順序のある指導」に懐疑的な中で,それらの経緯をきちんと把握している人は見かけません*1
あと,「学術的な研究結果」を探そう,得ようとする前に,かけ算の「順序」という言葉が適切なのかの検討も,不可欠です.これまた現状としては,「かけ算の意味」を確かめるためのある種の出題(かけ算の順序を問う問題)と正誤判定に対して,「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方」と解釈したために,その教え方が良くないとする裏付け(とくに文献)が得られず,学術的のみならず歴史的・国際的にも展開できず,行き詰まっています.

(2)

「数学をツールとして使う場合、その運用は高度に文脈に依存する」には,感銘を受けました.90年代,研究を進めていく際に複数の文献で目にし,自分の書いた論文にも盛り込んだ"idealization"*2を,思い起こさせました.
ところで,“算数だとこうだけど,実際の場合だったらこう”として,違ってくることに関しては,研究事例があります.

出題や児童の発言は,その文献の後ろのほうです.もしくは,子どもの視点でで取り上げましたので,どうぞご覧ください.

(3)

さくらんぼ計算とかかけ算の順序には,一つ共通点があります.
それらを推奨する人々は*3,それより前に学習してきたことを踏まえています.さくらんぼ計算については「数の合成や分解」や「10をつくる」であり,かけ算については「適当な大きさずつにまとめて数える」や「3口のたし算」が該当します.
一方,批判する人々は,そういった指導の先のことに強い意識を向けています.「1株61万円で売る株を,1円で61万株を売るという誤発注」を,『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』のまえがきで取り上げているのは,その最たるものです.
とはいえ,学習指導案を見てきた限り,授業をする側は,授業より過去のみならず将来についても,関連事項を踏まえているのに対し,批判者は暗黙の了解事項をあまり把握しないまま読み,「その推測はほとんどの場合まちがっている」事態となっているようにも,思うのですが.
批判者については,いつものにリンク:あなたは「批判者」ですか?「学習者」ですか? ~本『QT 質問思考の技術』 - ライフハックブログKo's Style


上記各ツイートの発言者,[twitter:@tamami_tata]さん,[twitter:@ohmasu_risa]さん,[twitter:@jun24kawa]さん,[twitter:@p_tenchan]さんには,ツイートにて直接メッセージを送ることができないお詫びと合わせ,ここで感謝を申し上げます.

(最終更新:2014-04-25 朝)

*1:当ブログでは,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131021/1382305370にて整理を試みました.

*2:直訳すると「理想化」ですが,「定式化」を含んでいます.たしか…認証プロトコルの冗長性と安全性を検証するための枠組として,BAN論理というのが提案されました.1989〜1990年あたりです.その論理に基づいて記述し,証明をしていくのに先立ち,idealizationを行います.研究としてはその後,BAN論理の考案者以外による報告で,実際には安全でないプロトコルが,安全であると証明できてしまうというのが(読んだ記憶では2つ)出てきました.それは,idealizationの段階の曖昧さによるものでした.自分がしていた研究はというと,論理モデルではなく書換えモデルに基づいた,検証のための枠組を提案しまして,BAN論理を使って安全であると証明された認証プロトコルが,安全でないことを示しました.安全でない,すなわち攻撃が成立するのは,なぜかというと,提案した枠組では,時間を定量的に扱えるようにしてあるのに対し,BAN論理など比較的古い枠組では,「過去」と「現在」という2種類の時制で,時間の概念を表現していたからです.この時間の表現はidealizationに依存しませんので,結局のところ,idealizationに起因しない理由で,安全であると証明された認証プロトコルを安全でないと示したのが,研究のオリジナリティとなりました.

*3:「かけ算の順序」は推奨する人々の用語ではないのですが.