わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

ふつう

世間一般では「単価×数量」と「数量×単価」の両方の流儀が使われている。レシートを集めてみてもそのことを確認できる。見積書などでも「数量×単価」のスタイルは普通である。「6×5円」もまた「普通」であることも言うまでもないだろう。さらに「4×100mリレー」や4倍速の意味で「4×」と書くことも普通である。
asin:B00MBUXKYA p.113.転載元

上記と類似した「ふつう」が,今年2月に出ていました.

たとえば、箱にお菓子を詰める場合、箱が5箱と決まっていると、4個ずつ詰めるときに必要なお菓子の数は、5の4倍。6個ずつ詰めるなら、5の6倍と「ふつう」考えるでしょう。逆に、詰めるお菓子の個数が5個と決まっていると、箱の数が4箱なら、お菓子の数は、5個の4倍。箱の数が6箱なら、5個の6倍と「ふつう」考えるでしょう。要するに、決まっている数の段の九九で考えるから、決まっている数が(「いくつ分」だろうが「1つ分の数」だろうが)被乗数になり、変数の方が乗数(何倍)になるのが、日本では「ふつう」ではないか(欧米では逆かもしれない)ということだけだが。

啓林館はなぜ「間違えた」のか? | メタメタの日

それぞれへの所感は次のとおり.

本題とたぶん関係ないけどカギカッコなしのふつうが1回とカギカッコありの「ふつう」が3回出現 2014/02/04

http://b.hatena.ne.jp/takehikom/20140204#bookmark-180748090

最初に読んだとき,えらい語彙が貧困やなあと不思議に思ったのですが,上のとおり,昭和26年の試案の中にも「普通である」が入っていたことに気づきました.まあそれでも,普通である「普通」である普通であるの連呼よりも,世の中はああなっているこうなっている,なぜだろうか,学校教育で教わってきたことと異なるのなら,どのように整合性をとればいいのだろうか,という視点を持つようにしたいところです.

形式的,形成的

追加すると,「5箱×4個」「5箱×4個/箱」といった数量表記をしている,商品の事例は,ちょっと思い浮かびません.
また5箱に4個ずつを「5の4倍」と解釈して,「4の5倍」と区別する(5×4も4×5も,その場面を表した式となる)という見方は,Vergnaud (1988)で明快に記されています*1.子どもたちはどう考えているか,交換法則との兼ね合いはどうなのかについても,合わせて見ておきたいところです*2
啓林館の修正については,学術論文は査読に通るまでに労力を費やすのだけれど,公刊されてから,本格的な批判が始まることを想起します.教科書の「査読」は,もちろん教科書検定のことです.いったん文科省オーソライズ*3された内容であっても,学校の先生方の実践,そして批判により,「30000×200=6000000よりも200×30000=6000000のほうが良い」という見解が寄せられれば,しかるべき手順で著者(教科書の執筆者)が修正の申請をし,それが認められた,というだけのことです.

(最終更新:2014-10-22 朝)

*1:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140924/1411511070

*2:国内外でよく引用されているのはVergnaud (1988)ですが,歴史的には(そして国内限定で),1957年発行の本にも載っています.http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130425/1366840221#1

*3:「30000×200=6000000」については,検定の段階で見過ごされた可能性のほか,(高学年では)その式でも表せることを認識していて,検定意見を出さなかったという可能性も,考えられます.