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大正時代のかけ算の順序

ツイートで知って読みました.指導としては乗法(掛算)からです.
2の段は,ちょっとした用語の違いはともかく,今の算数と同じかなと思っていたら,九九の扱いが現在と異なっていました.現在で言う半九九を,この本では採用しています.p.6(コマ番号26)によると,3×4も4×3も,ともに「三四十二」を用いることとし,4×3を「四三十二」と唱える(逆九九)のは採用しない,というのです.
先に小さい数*1を持ってきます.2の段は2×2から2×9までを暗誦し,3の段は3×3からです.
読み進めると,かけ算の順序と,式に単位を書くべきかの話が組み合わさった段落に出くわします(pp.14-15, コマ番号30):

(略)例へて見れば「鉛筆一本の値段が三銭づつなれば五本の代金は皆で何銭か」の問題で児童は「これは三銭を五倍すればよい」「三五十五」「代金は十五銭でよい」と左程の支障もなく順潮に進行し得るものであつても,「算式を立てて御覧なさい」「先生お答が出来ました,十五銭です」「何? 式を立てないでお答えが出来る理屈がありますか」「サア式を立てて見なさい」と逆戻を敢行する。其の算式を見ると悪戦苦闘の結果か無我夢中の所為か,「3銭×5本」などは先づ無難の方で,或は「3×5=」「5×3=」「5本×3=」「5本×3銭=」「5×3銭=」等実に千紫万紅の珍態である。尋常一年や二年の低学年では飽くまで結果主義に練習するが最も至当な計画であって,算式構成の困難と戦つて幾多の勢力を犠牲にすることは,本科教育の効率を増進せしむる上に障碍を興ふること頗る甚大なるを感ずるのである。世の多くが算式を見て計算し得るに至れば,事実問題に就いても算式を構成せしむるが因襲的に極めて普通の事と考へて居る際に,算式構成の不必要を唱導するのは如何にも現代を超越し過ぎる嫌があるかも知れぬが,今日著者の主張は必ず後日最も普通な言論を代表するに至るべきを楽んで居るのである。

著者としては,「3銭×5本」「3×5」「5×3」「5本×3」「5本×3銭」「5×3銭」のうちどれが良いか悪いかを,比較検討していません.尋常小学校1年や2年の段階では,式に表すことよりも,「結果主義に練習するが最も至当」と主張しています.
現実の事例に基づく文章題(同書では「事実問題」と表記しています)について,式を立てて,計算して,単位にも注意して答えを書く,というのではなく,九九の中でどれを用いればよいかを問うわけです.
そうして見ると,次の3つの文章題は,たしかにいずれも3の段です(p.17, コマ番号31):

一本参銭の小筆を五本買ったら代金は何銭か。一本四銭の大筆を三本買ふには何銭いりますか。毎日字を三つづつ書いたら七日間には皆で何字になりますか。

念のため,現在だとどうなるかというと,「一本参銭の小筆を五本」は3×5=15 こたえ15銭,「一本四銭の大筆を三本」は4×3=12 こたえ12銭,「毎日字を三つづつ書いたら七日間には」は3×7=21 こたえ21字でしょう.この本としては「三五十五」「三四十二」「三七二十一」が期待されています.
「〔4の掛算の九九〕」なのに,4がかけられる数にもかける数にも出てこない文章題もあります(p.19, コマ番号32):

(3)この教室の左側には硝子障子が六枚あります,一枚に硝子板が六枚づつはめてあると硝子板が皆で何枚になりますか。

式は6×6=36 答えは36枚です.
「ガラス障子がa枚あります.ガラス障子1枚に,ガラス板がb枚ずつはめてあると,ガラス板は全部で何枚になりますか」に置き換えると,そして今の算数なら,式はb×aとしたいところです.類題があったぞと,記事を検索したところ,2011年に,「おなじ おおきさの がようしが 8まい あります.1まいの がようしから 4まいの カードを つくります.ぜんぶで 何まいの カードを つくることが できますか.」という問題を創作していました*2
あと,かけられる数とかける数が同じ数というのは,今回の本より後になりますが,緑表紙教科書の「タコガ,八ヒキデ ヲドッテ ヰマス。アシハ ミンナデ 何本アルデセウ」というのを思い出します.
6の掛算の九九にも,現在と違うんだなあというのが出現します(p.29, コマ番号37):

(6)この教室には机が何列ありますか。(六列)
一列の人数は何人ですか。(八人)
それでは皆で何人になりませう。

今だとこれは,典型的な「かけ算の順序を問う問題」*3です.式は8×6としたいところです.
ですが当時,子どもたちから「六八四十八」を引き出させたいのがよく分かる出題となっています.
練習問題を見ていると,nの掛算の九九の中にも,nを使わないものが出てきます.上記の硝子の件は例外で,あとはみな,nよりも小さい数を因数の一つとするかけ算です.
これは,それまで学んだことを常に思い出し,適用できるようにしていこうという意図と思われます.これに関して,p.35(コマ番号40)では「九九は機械的な所に生命があるといつてもよい」と,なかなか面白い記述をしています.
あと,わり算について,「包含」「等分」の言葉が出てきます(p.79, コマ番号62).以下の記述は,現在の小学校学習指導要領解説とほとんど同じになっています.

教授の出発点として2×4=8 8=2×4 8=2×○「8は2の何倍か」「8の中には2が何度あるか」に連絡すれば包含の意味となり,2×4=8 8=2×4 8=○×4「8は幾つの4倍か」「8を四つに分けたら幾つになりますか」に拠*4れば等分の意味となるのである。
最初の入り方としては其の何れを選ぶべきかは一つの研究問題であると思ふが,結局は何れの意義も明確になり其の運用が自在にならねばならぬのである。


「九九」の「順序」に関して,Webで読める情報として,国定教科書の九九が半九九から総九九になった理由|メタメタの日にリンクしておきます.

*1:同数の場合も考慮すると,「大きくない数」とすべきでしょうか.

*2:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20110904/1315083564

*3:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131229/1388265996

*4:原文は「據」.http://kanji.jitenon.jp/kanjil/5873.html