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努力は無限である―叔父の訃報に接し

 夕食前にのんびりしていると,1階から声がかかりました.
 実家から電話です.コードレスの子機を受け取り,話を聞くと,父方の叔父が,今春に亡くなっていたというのです.母は喪中のはがきで知り,電話で確認をしたとのこと.
 夕食時に妻に話すと,「ポン菓子のおじさんよね」と.面識があったのでした.ポン菓子販売所の小屋を作ったり,ケージに入れて鶏を何羽も飼い,卵と肉を取ったりしていたのを,思い出しました.
 もう一つ,重要な出来事がありました.19歳の秋のことです.父とともに(たしか兄は同行しなかった),この叔父さんのところへ行き,稲刈りを手伝いました.
 コンバインで刈ることのできない,田んぼのコーナーのところを,草刈り用の鎌ではなくギザのついた,稲に適した鎌を使用して,手刈りする必要がありました.父だったか叔父さんだったか,刈る要領を聞いて,自分でやってみるも,うまく刈ることができませんでした.それに対し父は,手際良く刈っていきました.あとで聞いたところ,約30年ぶりに鎌を握ったというのです.
 次の年の6月に父は他界し,10年ほど,自分は田畑との関わりがなかったのですが,結婚を機に田植え・稲刈りを(もちろん手刈りも)することになったのは,妙な縁です.
 本日の記事のタイトルは,自分が畑地,違うぞ,二十歳になったときに,叔父さんからいただいた1文です.