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修士論文の,教員からのacknowledgment

 今週,修士論文発表会に出席しました.
 朝10時から開始し,昼休みをはさんで,修士論文を提出した19名すべての発表が終わったのは,夕方5時の少し前でした.
 研究室からの発表はありませんでした.なお順調に進めば,1年後は3名,2年後にも3名の修士論文発表を予定しています.
 所属での修士論文発表会の準備は,当ブログで「某ゼミ」と表記している科目の担当が行います.担当は2名おり,2年任期で1年ごとに替わる運用になっています.自分は2年目でして,時間をとって計画を立て,教員・学生に周知し,発表会の最初のセッションでは司会進行を務めました.
 大部分の発表の質疑応答では,発表者の修士論文を査読した教員が質問をしました.1つの修士論文に対して査読した教員は2名で,やりとりをしていると質疑時間の5分はあっという間です.
 自分はというと,査読した件の発表について,いずれも,質疑に移ったら最初に挙手して声をあげました.そして今振り返ってみると,意識していたわけではないのですが,内容に関する質問の前に,発表の2日前を期限として提出してもらっていた,修正版の修士論文(査読コメントに対する回答付き)に,言及していました.
 ある学生には手短に,きちんと修正されていたことを言い,別の学生には,再修正の余地があることを伝えました.
 いわば,修正して論文を提出した学生への,教員からのacknowledgmentです.
 論文で,「Acknowledgment」または「Acknowledgement」から始まる見出しがあれば,「謝辞」です.また通信の分野で「ACKを返す」と表記するときの,ACKの語源でもあります(これは感謝というよりは,承認や返礼と解釈するのがいいでしょう).
 他の先生方は,さっそく内容の質問をされていたように思います.また修士論文だとか査読制度だとかではなく,学会で学生が発表したときには(しばしば司会者が)研究成果の意義をコメントすることも,ありました(今もある?).そういった「前振り」は,会場内で議論を促す着火剤になることもあれば,聞き手によっては「自己満足で無駄なスピーチ」に映ることにも,なるのかもしれません.
 某ゼミ担当の2年間の業務は,後始末があるとはいえ,おおむね終了です.他に学内外で1つずつ,2年任期の活動に区切りをつけ,4月から予定されている激務と,新たな授業の準備,また学生指導を行っていくことにします.

 当ブログで,修士論文の「査読」について書いた記事を,新しいものから: