『学校は誰のものか──学習者主権をめざして (講談社現代新書)』を読み終えました.
30ページほど読んだあたりで,不信感を覚えました.そんなに教師のよろしくないところを見せて,これは誰に向けて書いたんだろうか? 教師? 校長などの管理職教師? 児童・生徒の保護者の方々? 教育学者?
この本を書評している人がいるかな*1,と著者フルネームをGoogleにかけたところ,『「ダメな教師」の見分け方』の書評がヒットしました.
以下は,『学校は誰のものか』にも当てはまる指摘だと思います.
教師のサポートについての問題点は棚上げされたままのようである。指導力強化に関わるもの、メンタル面のサポート、その他の保障はどうしても必要だと思う。
「ダメ教師」の見分け方(ちくま新書)戸田忠雄 - 教育ニュースへのツッコミ
(コメントより)
「ダメ教師」の見分け方(ちくま新書)戸田忠雄 - 教育ニュースへのツッコミ
まず根本は、戸田氏が高校の教員畑で過ごし、それをベースに公立小中学校を論じているという不整合がある。
「教育」に政治的なイデオロギーを持ち込むべきでない、という著者の主張には同意できるが、著者が目の敵にする「組合」が持ち込むイデオロギーなどは、文科省など行政権力が強制するイデオロギーには比べるべくもないことも同時に指摘しなければ、フェアとは言えないだろう。
http://letterfromthewind3.cocolog-nifty.com/letter_from_the_wind_3/2005/07/post_64d6.html
著者があまり問題にしていないのは、権力を行使できる「行政の責任」である。
私が息苦しいと感じるのは、戸田さんほど生徒の評価を信じることができないからだと思います。「子どもたちに好かれ信頼をよせられている教師のことを『よい教師』というのであって」(p183)と書かれていますが、私個人としてはどーしてもそうは思えません。
http://readreview.blog.ocn.ne.jp/book1/2006/07/post_546b.html
最後に、この本はいわゆるビジネス書っぽいつくりになっていると感じられて、
http://readreview.blog.ocn.ne.jp/book1/2006/07/post_546b.html
「行政の責任」に関しては,著者の戸田氏は「規制改革・民間開放推進会議の教育・研究ワーキンググループと文科省の幹部との公開討論」で専門委員として発言されるなど,行政に向けて発言できる人ですから,なおさら,提言が実現することの影響力について,注意を払うべきと考えます.
一例として,学習者による教員評価(pp.225-227)について,掘り下げてみます.
小学生と中学生に分けて,項目案を挙げるとともに,実施上の注意点や,その学校管理におけるメリットを指摘しています.しかし,『教師側が学習者に通知表をつけるように,学習者側が教師にやや簡略な通知表をつけるのである』(p.227)という方針は,あまりにも現状を無視しているように思いました*2.
教師から学習者につける通知表は,それをつけることの意義や書き方について,教育学部の課程で,あるいは学校に赴任してから先輩などを通じて学ぶものですが,学習者が教師への評価を書く作業は,どこでどのようにさせるのでしょうか?
授業中に実施する場合,提出の仕方や筆跡*3などから,『学習者側の匿名性を完全に保障』(p.225)できるのでしょうか?
学校外で書くとすると,他の児童・生徒に影響されて評価をしてしまう可能性はないでしょうか? 塾での学習者による講師評価を,公教育public educationに適用しようとするには,人数規模の違いを解決しないといけないでしょう.
クラス当たり数十人の評価を誰が取りまとめるのでしょうか? 今まで以上に,教員の仕事を増やすの?
ごくわずかな児童・生徒のみが最悪の評価や自由記述をつけた場合や,評価が最高と最低に大きく分かれてしまったときに,教師はこれをどう判断すればいいのでしょうか?