わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

科学力のためにできること〜科学教育の現状と改善案

科学力のためにできること―科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン

科学力のためにできること―科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン

科学力のためにできること〜情報教育のためにできること - わさっきで取り上げた本です.タイトルからはわかりませんでしたが,全部読み終えて,これは理工系の大学教員が海外(米国)の事例を知るのにちょうどいいのですが,逆に,科学力を向上させたいと関心のある小中高の教育関係者が読んでも,得られるものは多くないかなと感じました.
というのも,大学教員が,研究活動を通じた業績と知名度*1をもとに,大学に入るまでの年代の人々が科学力を身に着けるために,どんなカリキュラムを組み,どんなスクールを作って実践していけばよいかが,説明の中心になっているからです.
この点に注意すれば,大学教員のあり方に関するエッセイ,例えば第4章「科学者の責任」の2編,第5章の中の「女性と科学者,物理学と女性」などについて,自分のこと(あるいは自分の身の回りのこと)として興味深く読むことができました.
とはいえ,もし大学教員以外で教育に関心のある方々が購入してしまったら,p.226「現在の学校教育の話」から,p.230の箇条書きの終わりまでの部分だけでも,一読をお勧めします.
興味深かった部分を引用します.

以下に,現在の教育状況のベースとなっている仮定を述べてみよう.
◆客観的に証明・分析でき,実験に基づく学習が望ましく,学習の場で最も重要な技能は観察である.知識を得ようとするとき,主観は客観的事実の妨げになるため,感情を挟まない客観的姿勢を守るべきだ.
(略)
◆学校教育の目的は,情報を素早く習得し,決まった内容を網羅し,事実を複製することである.
◆事前の知識はその後の学習の妨げになるにすぎない.
(略)
◆競争と評価がもっとも強力なモチベーションになる.*2
◆学校教育は必要な通過儀礼であり,学校は人生の準備をする場所である.
(略)
ここから見えてくるのは,受動的でやる気のない学習者と,誰もが生まれながらに備えている学習意欲を抑圧するお仕着せのシステムだ.
(pp.226-228)

以下に掲げる前提が,新たに生まれる学習の物語の基盤を構成している.
(略)
◆学習とは,パターンを形成することで,学習者の学ぶ意味を構築していくという,彼らの内部で自発的に行われるダイナミックなプロセスである.
◆知性は学習することが可能であり,学習の可能性と能力は限りなく拡大する.
◆理解できていると客観的に分かれば,学習したと認められる.
(略)
◆事前の学習は将来の学習のために欠かせない.
(略)
◆学習に対する厳密で意味のある評価は,どの程度理解しているかという量的な証拠を含んでいると同時に,自己修正的で,しかも現実世界で実証できるものでなくてはならない.
◆協調,相互依存,達成は,学習の強力なモチベーションである.
◆学習は一生の仕事であり,学校での経験は人生そのものである.
(略)
(pp.229-230)

現状を改革したいのだという主張と合わせて,手短にまとめると,

  • 教育は,社会から切り離して,単純に教え授けるものであってはならない.
  • 人間関係や実社会を通じて,学習者の知性や能力を向上させる方法を身に着けるものである.

といったところでしょうか.上記引用からは明らかではありませんが,教育者もまた常に自分を顧みて,向上させなければならない,というのも,本書のあちこちで指摘されていました.
自分自身は,2つの考え方のうち,後者に大きな共感を覚えながらも,プログラミングに関する座学を受け持っていることもあり,実態としては前者すなわち知識教育を重視しているなあと感じています.

*1:例えば,『レーダーマンがフェルミラボの所長を務めた一九七九年から一九八九年までの十年間に,彼の研究グループは数々の重大な科学的偉業を成し遂げた.それと同時にレーダーマンは,ノーベル賞受賞者としての名声とフェルミラボの所長としての地位を活かし,科学者を結集させてK12科学教育問題に取り組ませた.』,p.243.

*2:ただし,本書で進めている教育方法には競争と評価が一切ないわけでなく,成績によってその教育プログラムへの予算が変わるので,一生懸命教育をするといった記述がありました.ページが見つからないのですが.