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トリアージは「切り捨て」か 〜 専門家の考え

昨日参照した本と,もう一冊から引用して,トリアージとは何か,何ではないのかを見ていきます.なお,時間の事情で,引用文のチェックを十分に行えていないことをあらかじめ申し添えます.

トリアージ(患者の選別)を行う際,数人の重症患者が低い治療の優先順位をつけられて死ぬかもしれない,という事実を受け入れなければなりません.目の前に多くの負傷者の方が,時には家族と共にいて助けを求めている姿を想像してください.その患者さんが,致命的な負傷を受けていてもう助からないと判断されるとします.その片隅には,一人でひっそりと助けを待っている人がいて,この人は応急処置をすれば助かるとします.このような時に,救急スタッフとしては,助かる可能性の少ない人は後回しにして,助かる可能性のある人を先に処置しなければなりません.
この時の心の葛藤,重圧は大変なものです.後回しにされた患者さんは,確実に死んでしまうでしょう.その場に居合わせた家族から罵倒を浴びせられるかもしれません.その患者さんの顔がいつまでも心の奥底に焼き付くかもしれません.もし,助かる可能性のない人を先に助けていたならば,助かる可能性が残されていたもう一人の患者さんも死んでしまうのです.このような難しい判断,決断をしなければならない救急スタッフの人は,後日,心的外傷後ストレス障害になる可能性があります.
一般市民の方には,ぜひ,この集団災害時のこのようなトリアージの意味を理解していただきたいのです.
(とっさの時に人を救えるか―災害救急最前線 (中災防新書 (015)), pp.65-66)

トリアージに関する文章をあれこれ読んで自分なりに理解し,また上述の「もう助からない」「この人は応急処置をすれば助かる」の判断に間違いがないとしても,身内で優先度を下げられると,やりきれないという思いは出そうです.

トリアージ(Triage),治療(Treatment),搬送(Transportation)は,災害現場で最も重要な三要素(3T)と言われています.
(前掲書,p.85)

「3T」は他でも(Webだったか)見たことがあり,この考え方,そしてトリアージは治療に当たらないというのは,災害医療に携わる人の間で定着しているとみていいと思います.

多くの傷病者を対象とした災害医療において,限られた資源,医療スタッフや医薬品,資器材などを最大限に活用して,最大多数の傷病者の命を救うために,傷病の緊急度や重症度に応じて治療の優先順位を決め,この優先順位に従って応急処置,患者搬送,病院選定などを行うことを目的としています.阪神・淡路大震災後,トリアージがマスコミに一時エキセントリックに取り上げられ,「特定の傷病者を見捨てること」,あるいは「弱者切り捨て医療」であるがごときニュアンスが強調されました.トリアージの本当の意味は決してそのようなことではないのです.
一方,現場の救急隊員や救急医の声には,たとえ助かる見込みがないとわかっていても,瀕死の状態の患者から目の前で「助けてくれ」と叫ばれた時,それを見捨てることはできないというのが多くいるのも事実です.現実の難しさを感じます.この悲惨な現場での体験が,極度の罪責感,後悔,自責の念を抱かさせ,後に再体験や,過覚醒という形で心の傷は残り続け,約二〇%の人が心的外傷後ストレス障害になるのです.
(前掲書,pp.86-87)

本日のエントリで最も重要なところです.ただし,「でもそうは言ったって」「実際のところは」から始まる批判も,十分に考えられます.
ただ,これを著者(医師)の傲慢ととるのではなく,災害医療の専門家集団における経験・実績をもとに,上記の説明がなされているのだと考えたいものです.
もし批判したければ,専門家の書いた複数の書籍を読んで輪郭と外れ値を把握し,専門家集団の門を叩いて教えを乞うた上ででも,遅くないように思えます.
なお,再体験と過覚醒の説明は,同書p.126にあります.
もう1冊の本を見ていきます.

災害とは,災害の定義でいう「広範囲な破壊」から想像できるように,多数の集団に被害が及んでいるのが普通である.つまり,集団災害であり,多数の人たちが同時に負傷もしくは死亡するような大きな事故や災害を指し,その規模や傷病者数から通常の地域内の救急体制では対処できない場合をいう.
こうした集団災害が発生した場合,災害の規模によって傷病者の救護活動,応急処置及び搬送などのため,広域かつ多方面の人的資源の動員が組織化されなければならない.この場合,限られた人的・物的資源の状況下で最大多数の傷病者に最善に医療を施すために,救命可能な傷病者を先ず選定し,治療していくが,傷病者の数が多いほど短時間のうちに判定することが重要である.これがトリアージであり,トリアージの際に使うタッグをトリアージ・タッグと呼ぶ.
(トリアージ―その意義と実際,p.5)

災害の定義は同書p.3にあります.災害の種類を「自然災害」「人的災害」「特殊災害」に分類していて,p.4にはより詳細な分類図が載っています.

2) 戦争小説に描かれたトリアージ
ヘミングウェイの"Winner Takes Nothing"に,彼自身が1912年に第一次世界大戦のイタリア戦線で体験したことを底流にして,綴られているところがある.戦争の現実に直面した人間の思いの相克を,上官の医師と部下の医師の間に交わされた会話の形で描き出しているのである.
(引用ここから)(略)
『戦いのさなかの前線で救護医療に携わるときは,一人の傷病兵だけにとらわれずに,もっといろいろな要素を考えて,最善の結果を出さなければならないのだ』
(引用ここまで)
この言葉の中に,災害時におけるトリアージの概念が,すでに生まれていると言える.災害時のトリアージでは,何はともあれ被災傷病者の“生命を救うこと”を最大の目的とし,全体として最善の結果に導くための傷病者の選別という考えに立って,医療・救護にあたるので,救命の可能性のある重症者に選別のウエイトが高くなっている.
しかし,戦時下という特別の制限条件のもとで生まれたトリアージの考えは,根底では災害時のトリアージと同じ概念をもっているとしても,例えば戦力維持のために傷病兵の速やかな前線復帰が求められるなど,軽傷者に対する医療のウエイトが高くなっていることも十分考えられる.
トリアージとは,状況によって,目的によって変わってくるものである.
(前掲書,pp.6-7)

トリアージの経緯として,コーヒー豆,羊毛,そしてナポレオンの軍隊については,よく知られていますし,上の引用でも直前に書かれていますが,ヘミングウェイのこの記述は初めて知りました.
略しましたが,部下の医師は「目の前派 = 現代トリアージ否定派」,上司の医師は「大局派 = どちらかというと*1現代トリアージ肯定派」と読み取れます.

大きな災害が短時間に起こるときは,傷病者もごく短い時間に大量に出現する.しかし,その傷病者を救護するために必要な医療の物的・人的資源は非常に制限されることになる.災害の内容,災害現場の地理的条件,災害環境,自然条件など,様々な要因が働く中で,限られた医療資源をいかし,多数の傷病者に最善の医療処置を実施することが非常に重要である.
この問題解決のためには,真っ先に傷病者の救命のために,医療資源や被災状況を前提に重症度や緊急度にしたがった傷病者の選別が必要になる.そこで生まれてきたのが「トリアージ」の概念と言える.
トリアージとは,限られた人的・物的資源の状況下で,最大多数の傷病者に最善の医療を施すため,傷病者の緊急度と重症度により治療優先度を決めることである.治療不要の軽傷者はもちろん,搬送さえ不可能で救命の見込みのない超重症の傷病者には優先権を与えない.少数のスタッフ,限られた医療資材を活用し,救命可能な傷病者を先ず選定し治療する.傷病者の数が多いほど短時間のうちに判定することが重要である.
(前掲書,pp.7-8)

この時点で,トリアージの説明の仕方がわかってきました.すなわち,トリアージの行為内容だけでは不十分で,「限られた人的・物的資源の状況下」という適用条件を,忘れることなく示しておく必要があるのですね.

被災地近くの病院は,搬送や自力で来院の軽・中症程度の傷病者で満員になってしまい,あとから搬送されてきた重症者を収容することができなくなってしまうという例が過去の災害時にも多くみられた.その結果,重症者が待合室で亡くなられる例も多い等,トリアージの必要性は大きい.経験豊富な外科医などが医療部門でのコーディネーターになり,重症者をどこに収容するのか,どの順番で治療していくのか,また,どの時点で治療を止めるかという流れを作ることが重要である.
また,軽傷外傷の場合には,消毒薬だけを塗って帰ってもらうトリアージがあることを理解してもらい,協力を求める等,トリアージに対する一般市民への啓発活動もこれからは是非必要になってくると思われる.
そこで問題になってくるのが,災害医療は切り捨て医療なのかということであるが,災害医療でもっとも大事なことは,限られた人的・物的資源の中で,最大多数の傷病者に最大の医療を行うことにある.ゆえに,1人を助けるために10人の命を失うことは避けなければならない.熱傷面積90%以上の重度熱傷患者1人を助けるために10人分,20人分の点滴を使うわけにはいかない.このような患者が搬送中に亡くなる確率は非常に高く,したがって,このような傷病者よりも救命の可能性の高い傷病者を搬送していくことが,初期災害医療の現場での重要なトリアージであることを忘れてはならない.
(前掲書,p.9)

「1人を助けるために10人の命を失うことは避けなければならない」は,災害対策として,すなわち災害が実際に起こる前に予習する際の考え方であって,災害の現場で発言するわけにはいかないでしょうね.

*1:『その負傷兵はそのままにしておけ』と,切り捨てを意識させる発言があるので,「どちらかというと」をつけています.