対話の場をデザインする 科学技術と社会のあいだをつなぐということ (大阪大学新世紀レクチャー)
- 作者: 八木絵香
- 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
- 発売日: 2009/08/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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誰と対話? 女川町,六ヶ所村の住民です.
科学技術における対話というと,専門家の存在が不可欠ですが,著者の指導教員がその役を担っています.対話フォーラムを手がけたとき,著者は社会人ドクターとのこと.
この本自体は,原子力発電・原子力政策の是非を論じていません.参加者からの賛成か反対かの問い(誘導尋問と言っていいかもしれません)にも,そのどちらでもない答えが書かれています.
なのですが,原子力に対する地域住民の意識…もちろんそれは「一枚岩」ではないのですが…がよく整理されています.「スリーマイル島,チェルノブイリがあったじゃないか」とか「補助金,仰山*1もろてるんやろ」とかいった程度の意識で,この本を読み進めると,驚嘆すること間違いなしです.
とはいえ,この本のタイトル,表紙,帯には,「原子力」という言葉が一切出てきません.科学技術に関して専門家とそうでない人々が対話をし,相互理解をしていくにはどうすればよいかが主題であり,その対象が原子力であることや,著者のフォーラム実施経験には拘泥しないでほしい…本文の分量はともかくとして…,という意図なのでしょう.
「繰り返し対話する」「専門家側も変わる」「信頼と納得は別」「正確性より即時性を重視」「不利な情報を積極的に話す」(第三章の小見出しより)は,分野を問わず,専門家が,非専門家と信頼関係を築くための重要なポイントと言えそうです.
それでも自分の周囲で,適用分野を探ってみます.直接的には,情報分野よりも,うちの学部であれば環境システム学科,その中でも都市計画などでフィールドワークをし,住民の方々から情報を得て,論文や報告書という形でとりまとめ,自治体や住民の方々にフィードバックをする*2という教員・学生におすすめしたい1冊です.
もちろん自分のことにも使えます.いつものように,プログラミング指導です.
プログラムを完成させるには,解くべき課題や適用対象を明確にし,そのもとで,適切な手法を選択して,実装(コーディング),テスト,デバッグをします.一人でできそうにないときには,友人や教員のアドバイスを(もし得られれば)得て,進めます.
というのが理想的な流れ.学生も,明確にあるいは漫然とそれを理解しているようだし,演習室の巡回を通じて,残念ながら「調べ方」や「アドバイスのもらい方」のところで引っかかっている学生も見かけます.
それを見極めて,成功する方向へ導くのが,教員の仕事です*3.決して,最適(最も効率的)な解き方を一つ用意して,そこから少しでも外れた解き方をしている学生に「違う!」と言ったり,無視したりするような,指導の仕方ではいけないのです.
あとは本文よりつまみ食い.
女川町での出来事である.「私はね,素人だからよくわからないんだけど……」と前置きした上で(略)北村教授の返答を待って,いくつかの新聞記事の切り抜きを掲げながら,その参加者は言った.「先生がおっしゃるように確かにそうこの新聞にも書いてあるね.」と.そう,この参加者は,回答を知っていたにもかかわらず,あえて無知を装って北村教授への質問を行ったのである.
また,ファシリテーターを務めた私自身も,(略)と発言したところ,即座に数人の方から即座に(ママ)「ふ〜ん,八木さんも意外と専門知識あるんだね.」と返答された.それまで和やかだった雰囲気が,一瞬,硬くなったように感じた.そう,私自身も司会を任せてもいいだけの知識や力量があるのかどうか試されていたのだ.
このような参加者の振る舞いをどう評価すべきか.好意的に解釈しない専門家も少なくないだろう.しかし北村教授は,専門家と比較して重要情報へのアクセスが容易ではない市民が,作為的な質問を行い,それに対する回答ぶりを通じて専門家の知識レベルや人間としての信頼の程度をはかろうとすることは,当然の「試す権利(北村,二〇〇七)」であると述べている.また,このような試しの質問にも誠実かつ的確に回答する能力も,専門家が持つべきコミュニケーション能力の一つであろう.対話フォーラム初期段階における「試しの質問」にどう対処できるか,これは信頼関係が構築できるかどうかの一つの分かれ道であった.
(pp.93-94)
試され,それに正しく答えることで,信頼関係を構築するといえば,DQ4の第5章.勇者を操るプレイヤーは,洞窟内で2度バトルをしてから,「いいえ」を選択するだけですが.
原子力施設を安全に保つためには,もちろん事業者の努力だけでなく,監視・検査と言った規制が適切に行われなければならない.しかし今の原子力の現場は,むしろ規制への対応に汲々としてしまい,安全を確保するために本当に必要な対策を十分に講じる余裕がないのではないか,と言うのが北村教授の指摘である.その時に北村教授が使った比喩はこのようなものだ.
例えば皆さんが伝票処理をしている椅子の後ろに,ずっと監視役がついていると思ってください.間違えないかどうかいつも見張っている.そうすれば,計算ミスはなくなるでしょうか.私はそうは思いません.むしろ,後ろの監視役が気になりすぎるために計算ミスを犯す可能性もあるかもしれない.それと同じようなことが原子力の現場にも言えるのです.
(p.128)
監視するし,計算ミスは細かく注意するし,「こうやれ(このほうが効率がいい)」と言い出すし,なので監視役と思っていたいたけど,「疲れたでしょう.じゃあちょっと替わりましょう,私がやります」といって伝票処理を引き受けてくれたら…ってそれはペアプログラミングだなあ.
わからないことを,わからないままで持ち続ける力.原子力の問題を解決するために欠けているのは,この力ではないか.専門家と市民が原子力について語り合う場では,市民の質問に対して,専門家が間髪入れず答えるということがままある.このとき専門家は,質問する市民の意図を正確に理解できているだろうか.相手の気持ちに寄り添って,一旦その質問を受け止めているだろうか.自分の「ものさし」でその質問をはかり,即座に,自分の中にある回答のどれかに結びつけてはいないだろうか.
(pp.190-191)
先ほどのプログラミング指導を思い至ったきっかけの一節です.