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算数ものづくり2 - 授業研究における指導案とは

本日もまた,「かけ算の順序」の派生ネタです.
言葉として「教材研究」と「授業研究」というのがあります.前者は後者に含まれます.なのですが私はこれまであまり,「授業研究」については力を入れてきませんでした.というのも,あれこれ思いを巡らせても,実際に小学生相手に授業をするわけではないからです.なお,大学の担当科目については,講義にせよ演習にせよ,時間配分と,学生の理解状況に応じた微調整を考慮しつつ,準備を行った上で,実際に授業をしています.
「教材研究」について,何度かエントリにしてきたのは,授業から切り離してその出題や題材をよく検討できるからです.類題や他の文書とつき合わせることで,出題の意義,またその使いどころも,発見しやすくなります.
一つだけ余談ですが,私自身が「教材研究」という言葉を知ったのは,論争よりもずっと前になります.大学内で,教育研究活動の自己評価をすることになり,その項目の中に,書かれていたのでした.「教材開発」に関する項目もあったと,記憶しています.
といったところで,文献です.

  • 高橋昭彦: 算数数学科における学習指導の質を高める授業研究の特性とメカニズムに関する考察―アメリカにおける10年間の試行錯誤から学ぶこと―, 日本数学教育学会誌, Vol.93, No.12 (算数教育60-6), pp.2-9 (2011).

今のところCiNiiではヒットしません*1.著者は「20年あまり日本において授業研究を実践し,数多くの指導案作成に携わり,かつ協議会の運営や,指導・助言者の役割も担ってきた」(p.8)とのこと.途中の「協議会」というのは,学協会があるのではなく,研究授業を実施したあとの検討会の意味で用いられているのを,いくつかの本で目にしています*2
タイトルからでも,何が書かれているかおおよそ想像はできますが,重要な要素が抜けているように見えるので,要約から取り出しておきます.

(略)このような海外の研究者および実践者による授業研究に対する取り組みの過程をとおして,授業研究に対する様々な疑問や誤解が生じてきた.本稿は,これらの疑問や誤解のなかから,特にアメリカにおける授業研究の取り組みに関わる者を中心に整理し,授業研究の特性とメカニズムについて考察することを目的としている.
(p.2)

そして論説の後半に「3. 指導案に対する誤解」として,誤解されているものを2つ,挙げています.
授業研究から指導案に変わっちゃったの? と思われた方への補足ですが,授業研究→指導案*3作成→研究授業→協議会*4という流れがあります*5.授業研究は複数人で実施(検討・議論)します.指導案は,他書を読む限り,研究授業をする人が作りますが,授業実施の前に,指導者または授業研究に関わった人からの助言を得て修正していると考えるのが自然でしょう.研究授業は授業参観のようなもので,児童の保護者の代わりに,先生方が立ち会うわけです.最後に協議会は,小規模なら授業研究をした人だけで実施となりますが,公開型の研究授業だと,より多くの人が参加します.
2つの誤解には,それぞれ「授業研究における指導案とは」「指導案どおりにいかない授業」という小見出しがついています.本日は前者からいくつか書き出します.

まず,その第一は,授業研究の目的は,指導案を工夫し,実践を通して検証し,さらにそれを繰り返し,最終的に完璧な指導案を目指すことであるというものである.
これは,アメリカなどを中心に盛んに言われている“Best Practice”という考え方に近い.つまり,それぞれの題材の考え方には,もっとも優れた教え方が存在し,このような教え方を集めてカリキュラムをつくれば,誰が行っても質の高い授業ができるという考えである.このような考えに対して,昨今では,いくら成功した実践例を集め,単にそれを模倣しようとしても,それだけでは決してうまくいくとは限らないという指摘がなされるようになってきた(Stigler & Hiebert, 1999*6)が,アメリカ全体を見ると,まだまだBest Practiceによるマニュアルを求めるような考えは根強いといえる.
(p.5)

大学でいう「10年間,同じ講義ノート」のようなものでしょうか.自分の分野では,とてもそんなわけにいきません.C89に基づくCプログラミングの授業にしても,プログラムを理解するための着眼点や,データ構造の図示のしかた*7だとか,あとやはり,新刊そして流行への対処*8というのも問われます.
指導案を改善していく試みは不可欠ですが,完璧なものを目指すのにはなじめません.料理のレシピを連想します.作る人も味わう人も,時代の流れで変化しますし,キッチンもお皿も,レシピどおりとはいかないのです.
論説に戻りまして,著者はこう記しています.

このような考え方に対して,日本の算数数学教育の現場では,以前から「完璧な授業など存在しない」という考え方が広く受け入れられている.どんな子供たちの興味を引くすぐれた教材であっても,教師がそれをどのように授業で扱うか,また,子供たちが題材をどのように受け止めるかによって,授業の流れは大きく左右される.したがって,作られた台本通りに淡々と授業をすすめるのではなく,子供たちの反応を観察しながら指導の流れを修正し,子供の思考に即した展開を行わなければ,決して期待した成果が上げることはできない.そして,このような授業を実現するには,しっかりとした教材研究に基づいた指導案と,これをもとに柔軟に授業を展開できる指導力を身につけた教師でなければならないということである.
(同)

では,何のために,時間をかけ,詳細に至るまで吟味して指導案を書くのであろうか.
経験ある教師が指導案を書くときは,何を準備し,どのような発問をし,子供たちに何をさせるか,といったことだけを考えているのではない.教師が何をすべきかを明示することも大切であるが,それよりも重要視されるのは,なぜ,本時の教材・題材を選び,どうして本時の様な展開にしようと計画したのか,本時の題材を扱うときに問題となるのは,どのような事柄なのか,それに対して,本時の指導案では,どのような点が工夫され,問題点を解決しようとしているのか,などが明確に述べられていることである.
つまり,授業研究のための良い指導案とは,指導の手順や内容に加えて,研究協議会における論点となり得る内容を予測し,あらかじめそのための情報を十分に提供できるだけの内容を示したものでなければならない.
(pp.5-6)

これらに挟める異論が,思い浮かびません.「授業研究」を強く意識し,算数・数学教育に長年携わってきた方の見解であるというのはもちろんですが,自分の仕事に関わるいくつかのことにも,当てはまる言明なのです.
大学の授業とその改善ももちろんですが,思い浮かんだのはむしろ,研究発表のほうです.「完璧な発表はない」わけですし,学生のゼミ発表を指導し見聞きするとともに,自分も論文・予稿の執筆や,ときには自らプレゼンをすることで,実感できるのは,ゴールに到達したではなく,せいぜい,着手しなかった時点と比べたら,いくぶん,ゴールに近づけたということです*9.協議会は,プレゼン後の質疑のようなものです.そしておしまい,ではなく,また新たな活動の開始です.修士論文卒業論文発表会での質疑で出た課題も,最終提出までに対処できるものを除き,教員や後輩に引き継がれます.
ものづくりや文書執筆にも,「なぜそれなのか」「なぜそれを持ってくるのか」「そのような展開(ワークフロー,ストーリー)でいいのか,より良い流れや手段が他にあるのではないか」「あなた(人間)にしかできないことなのか,計算機や,ネット越しの人々に委ねたほうがいいものはないのか」など,いろいろなことを想起します.


文献には,著者所属として「東京学芸大学 国際算数数学授業研究プロジェクト」が書かれています.それで検索してみると,プロジェクトの特任教授*10で,メインはDePaul UniversityのAssociate Professor*11とのことです.
この方へのインタビューが見つかりました.全文が興味深いのですが,一つだけにします:

日本の数学というと答えは1つ、アメリカでは複数という話しを聞いた事がありますが
それは全く逆ですね。確かに昔は1+1=2のような杓子定規でつまらない時代がありましたね(笑) 丁度私が大学の頃が数学教育の転換期でした。教え込み、詰め込みではなく考え方を育てる時代。今でも残念ながら中学、高校では受験用の詰め込み教育が主流になってしまっていますが。
ここ 20 年くらいで日本の教育は変わりました。この教科書をご覧頂くと良くお分かりになると思いますが、A君はこういう考えをして、この答えを導き出した、B君はこう、C子さんはこうといった具合にプロセスを教えて、その後に回答を出しています。
日本はこれほど良く変わったのに、アメリカは変われなかった。これは先生達の努力、改善の成果です。
日本の先生は新聞などで叩かれて可愛そうですよ。日本の先生方は優秀ですよ。これではマスコミが率先して子供達にいじめのお手本を見せているようなものです。

アメリカ DePaul 大学 高橋 昭彦 (Akihiko Takahashi)

おすすめの本

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*1:同姓同名の多いこと….

*2:自分にとっての「学会」のようなものでしょうか.「学会に行く」と言っても,その学会事務局へというよりは,学会が主催している研究会やイベントに足を運ぶというのが当たり前ですし.

*3:学習指導案」も同じです.

*4:文献の中に「研究協議会」という言葉も見られ,これも同義と思われます.

*5:流れ全体を「授業研究」とする見方もあるようです.プログラミングの授業で「広義のコンパイル」「狭義のコンパイル」を解説していますが,同様に「広義の授業研究」「狭義の授業研究」と言っちゃっていいのでしょうか.

*6:引用者注:The Teaching Gap: Best Ideas from the World's Teachers for Improving Education in the Classroom

*7:自分の授業で例を挙げると,参照渡しによる,関数内外にスコープを持つ変数の値の変化は,ある年度でPowerPointのアニメーションとして作り,その後,PDFで読んでもらうことを意識し,別々のスライドにしています.つい最近のものだと,配列を,ポインタとの違いや連携に注意しながらどのように図示すればいいかについて,改善を試みました.これは今年度の試験には間に合わないので,来年度の授業で,大幅に修正する予定です.

*8:1年前の演習室課題で,メモ化を利用したフィボナッチ数の計算を取り入れました.

*9:学生の修論・卒論については,「研究のゴールに近づくことができた.ありがとう」と,「修士研究・卒業研究として設定したり変更したりしたゴールには,なんとか到達できた.よかったね」の両面があります.

*10:http://www.impuls-tgu.org/about/about_member.html

*11:http://education.depaul.edu/About/FacultyStaffDirect/FacultyPages/akihiko_takahashi.asp